幕末年表

1862年(文久2年)

月日 出来事・事物起源・話題
2月5日 毛利慶親、老中久世広周に会見し公式合体及び幕府改革の意見を述べる
2月11日 和宮、将軍徳川家茂へ御降家
2月12日 流罪中の西郷吉之助赦されて奄美大島より鹿児島へ帰還す
2月18日 将軍徳川家茂、和宮との婚儀を祝い散楽を張りて諸大名を饗す
3月13日 西郷吉之助、島津久光より激徒鎮撫を命ぜられ鹿児島を発し大阪へ向う
3月16日 島津久光、鹿児島を出発し上京す
3月24日 坂本龍馬、土佐脱藩
4月9日 大久保一蔵、西郷吉之助を訪ね島津久光の激怒を伝えて自殺せんとして止む
4月11日 安藤対馬守信正、正月15日の坂下門の変以来不安を感じ遂に職を辞す
4月12日 アメリカ公使ハリス帰国す
4月16日 薩摩の島津久光、兵を率いて京都に入り近衛忠房に伺候、公武合体、皇威の振興、幕政改革を進言して意見書を呈す
4月23日 寺田屋騒動(薩摩藩尊皇派等の粛清事件)
5月7日 寺田屋事件の同志残党、田中河内介以下多数、日向の細島に斬らる
5月10日 三条実美、島津久光の建言を用い内政を整え外夷を防がん事を奏請す
5月18日 九段下牛ヶ淵の蕃書取調所を一ツ橋門外に移して洋書調所と改称する
5月22日 勅使大原重徳、京都を発す。島津久光又朝命により兵を率いて之に従う
6月1日 将軍家茂、各藩に庶政改革諭告
6月10日 勅使大原重徳、江戸に下り徳川慶喜を将軍、松平慶永を大老とすべき旨を伝う
6月11日 澤太郎左衛門、伊東玄朴、林研海等に対し幕府より和蘭留学を命ぜられる
6月12日 眞木和泉守、機械発明家田中儀右衛門を久留米有馬藩主に斡旋す
6月18日 勅使大原重徳、江戸城にて老中等と会見徳川慶喜後見職の勅諚を下す
7月1日 徳川家茂、勅使に奏答す
7月6日 横井小楠、松平春嶽に招かれ江戸到着、これより小楠幕政改革を主張す
7月17日 勤王家眞木保臣、久留米に幽囚
8月1日 京都に守護職を設け、会津藩主松平容保これに任ず
8月9日 島津久光、勅使補佐の大任を果して京都に帰り天顔を拝し太刀を拝受
8月19日 幕府、英国公使に対し琉球は我が領土なりとの回答を與う
8月21日 生麦事件(薩摩の島津久光の行列が、英国人を斬棄てる)
8月22日 幕府、参勤交代の制を緩にす
8月22日 幕府の遣欧使節、ロシアで初めて銀行を見学
8月26日 小笠原島へ最初の移民を送る
8月27日 幕府弓組を廃し鉄砲組を置く
9月10日 西洋へ留学生を派遣(榎本武揚、澤太郎左衛門、西周、伊東玄朴、林洞海ら)
9月30日 慶喜、幕議に開国意見を述べる
10月4日 朝廷、特旨を以て毛利慶親に参内謁見を仰せつけられ天盃を賜う
10月13日 勝海舟、英国造船の順動丸(405トン、360馬力、長さ240尺、価15万ドル)の外輪汽船を神奈川にて受領す
10月18日 将軍通路の窓戸閉鎖の制を停む
10月20日 幕府の開国論、攘夷奉勅に一変
10月22日 慶喜、将軍後見職の辞表提出
10月22日 幕府、山陵奉行という新職を置く(歴代の天皇及び皇族の御陵を実地調査する)
10月27日 勅使三条実美など品川に到着、幕府迎接の礼、旧来と一変し鄭重を極む
11月12日 高杉晋作らの外国公使襲撃事件
11月15日 徳川慶喜、再び辞表を提出す
11月27日 三条実美、姉小路公知の両勅使が、江戸城へ入城
11月28日 幕府、朝令に依り安政の大獄、桜田門の変に罪を得たる諸藩士等を赦免す
12月9日 朝廷に新たに国事掛を設置する
12月11日 慶喜の上京に武田耕雲斎随行
12月13日 品川御殿山に新築の英国公使館が高杉晋作、伊藤俊輔等に依り焼討される
12月18日 幕府、新たに陸・海軍総裁を設く
12月19日 肥後藩の横井小楠、佐幕派に襲われ九死に一生を得る
12月29日 佐久間象山、蟄居放免となる
天皇 孝明天皇 (在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日) 
将軍 徳川家茂[14代] (在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日) 
生活 この年
 
  • 幕府穀菜の種子64品をアメリカより輸入
  • 伊勢人大谷嘉兵衛製茶貿易店を横浜に開く
  • 品川御殿山に洋風木造二階建の英国公使館たつ
その他