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1853年(嘉永6年) Archive

幕府の代表、ペリーと久里浜にて会見

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浦賀上陸図

アメリカの提督ペリーが、日米国際関係の交渉のため、浦賀に来航して、鎖国主義の長夜の夢を醒ましたのが、1853年(嘉永6年)6月3日、それより6日目の9日には、幕府の代表で浦賀奉行の戸田伊豆守氏栄、井戸石見守弘道等が、久里浜で正式にペリーと会見する事となりました。

この日朝から、天気晴朗、米艦サスケハンナ号から13発の祝砲が発せられたを合図に、15艘のボートが久里浜に漕寄せられ、ペリーを始め、水兵、楽隊等300名ばかりが国書を捧げて上陸します。

これに対して日本国の警備兵5千を下らず、海岸から山麓へかけて、総勢物々しく整列している。もしまかり間違って敵対行為となれば、5千の兵の外に、山中にまで伏兵の用意があったというが、米国側でも4隻の軍艦から榴弾砲を放ってこれに応ずる覚悟がありました。

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黒船来航

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ペリー提督

アメリカの提督ペリーが浦賀に来航して、江戸幕府の鎖国の夢を破ったのが、1853年(嘉永6年)6月3日の事でした。

この日午後5時頃、浦賀の沖に軍艦が現れると、「それ、黒船だ!」と俄かに付近一帯は鼎の沸くような騒ぎとなりました。

今から考えれば僅か1,700トン乃至264トン位の汽船で、少しも恐るるに足らぬものですが、浦賀の砲台からは号砲を放って警備船数百艘に総出動の命令を下し、先づ与力中島三郎助が陣羽織甲斐甲斐敷、多数の小舟を率いて、エイヤエイヤと黒船目がけて漕ぎ寄せる様は、さながら蟻の這い寄るようであったと云います。

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