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1867年(慶応3年) Archive

薩土盟約が結ばれる

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薩摩、土州両藩の勤王倒幕派が、互いに固い握手を交わしたのが1867年(慶應3年)6月22日の事でした。

その場所は京都の小松帯刀邸、薩州側から小松帯刀、西郷吉之助(西郷隆盛)、大久保一蔵(大久保利通)、吉井幸輔。土州側から毛利恭介、後藤象二郎坂本龍馬、中岡慎太郎の各4名づつが会合し、

「国に二帝なし、家に二主なし、王政復古は論なし、宜しく宇内の形勢を察し、参酌協正すべし」

という盟約の大綱四条と約定書を取交し、皇国復興の大目的の為には成敗利純を顧みず斃れて後已むの決心でやろうと誓います。

それから間もなく、7月3日には、後藤象二郎が京を出発帰国の途に就いた。帰国して藩論を一定し、山内容堂の名に依り、幕府の政権奉還を建白させようという実際運動を開始、西郷吉之助は、その以前に既に長州藩の志士と誓約した薩長同盟の面目を立てるため、村田新八を長州に使者として派遣し、薩土盟約書の写しを送り、その意見を求めたのでした。

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坂本龍馬の「船中八策」

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坂本龍馬
坂本龍馬

兵庫開港勅許前後から雄藩間の提携議論が急速に活発になり、土佐藩でも後藤象二郎坂本龍馬ともに京都に遣わしこの議論に参加させることになりました。この両雄が長崎を出帆、上洛の途に就いたのが、1867年(慶應3年)6月9日の事でした。

船は土佐藩の蒸気船で夕顔丸というのでしたが、この日長崎を出帆すると間もなく、船中で坂本龍馬が筆を執ったのが「天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事」という大政奉還を前提に、議会開設、官制刷新、外国交際、法典制定、海軍拡張、親兵設置、貨幣整備などの八ヶ条より成る主旨書でした。

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明治天皇、最初の御閲兵

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明治天皇、最初の御閲兵が1867年(慶應3年)12月27日、京都の御所建春門前で行われました。

参列の光栄に浴した諸隊は、一番隊から四番隊までで、一番隊は土佐藩の約40人、二番隊は薩摩藩の約60人、三番隊に長州藩の約400人、掉尾に従う四番隊が薩摩藩のおよそ1,000人、総計約1,500人の勤王軍となります。

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薩摩屋敷焼討事件と福沢諭吉

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福沢諭吉
福沢諭吉

1867年(慶応3年)12月25日、江戸幕府の断末魔の喘ぎに、王政復古派を憎んで、江戸高輪の薩摩屋敷に大砲を放ち、その焼討を敢えて行ったのが、庄内藩を始め各藩の佐幕派でした。

当時薩摩屋敷には、気骨稜々たる薩摩藩士を始め水戸の浪士等もいて、倒幕の策略を練っておりましたが、不意に猛烈な大砲を撃ちかけられたのだからたまりません。伊牟田尚平以下60余人が砲火に炎上する屋敷を後にして、品川に難を逃れ、そこに碇泊中の薩摩の軍艦に乗って兵庫へと引上げました。

即ちこれが戊辰戦争の導火線となったのでした。

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小御所会議

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岩倉具視
岩倉具視

1867年(慶應3年)12月9日の夜、京都の小御所に於て、明治天皇出御の下に、王政復古に関する御前会議が開かれました。

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坂本龍馬、中岡慎太郎の仇を狙って新撰組を襲撃

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勤王の傑士坂本龍馬と中岡慎太郎の両人が、京都で暗殺されたことは、11月15日の話題で述べましたが、両傑士の不慮の死に痛く憤激した同士の各々が結束して、その仇と目指す新撰組を襲撃したのが、それから19日目の慶應3年12月7日の事でした。

新撰組が両人を襲撃したという証拠は、犯人の遺棄した覆物から手掛かりがあったので、菊屋峰吉という17歳の少年を間諜として、餅屋に化けさせ、新撰組屋敷付近に張り込ませていました。峰吉は路傍で餅を焼いて客を呼びながら、情報が入り次第同志へ内通します。

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坂本龍馬、凶刃に倒れる

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坂本龍馬

1867年(慶應3年)11月15日、勤王党の傑物坂本竜馬が不慮の凶刃のため、あたら33歳を一期として不帰の客となり、同士中岡慎太郎も瀕死の重傷を負いました。

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日本人最初の電報を打った人は伊東玄伯

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江戸の末期、幕府からオランダへ留学生を送ったことがありますが、その留学生の伊東玄伯という人が、オランダのニューウェデク市から、アムステルダムに滞在中の同じ留学生赤松大三郎に宛て、

「明日お訪ねするからお待ち下され」

という内容の電報を打ったのが、1867年(慶應3年)10月17日の事でした。

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火薬製造機、初めて輸入される

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圧磨機圧輪記念碑
圧磨機圧輪記念碑

1867年(慶應3年)5月12日、外国から初めて輸入された火薬製造の機械が横浜に荷着しました。

これより先、幕府の軍艦奉行支配たる沢太郎左衛門は、軍艦注文のためオランダへ派遣され、彼の国で造船衛や銃砲火薬改良などに就いて研究していました。研究に熱心な彼はベルギーにも渡り、ウエッテレン火薬製造場の一職工として住み込み、日夜研鑽を続けていましたが、日本に洋式の火薬製造機械が一台も無いのを残念に思い、向上に注文して送らせたのが、横浜に着いたのでした。

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いろは丸事件(日本最初の蒸気船衝突事件)

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坂本龍馬

1867年(慶應3年)4月23日、日本最初の蒸気船衝突事件が起りました。

土佐藩の海援隊「いろは丸」という蒸気船が、長崎を出航して大阪に向ったのが、同年4月19日でした。

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睦仁親王、践祚して明治天皇

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踐祚
聖徳記念絵画館 壁画「踐祚」
川崎小虎  筆
侯爵 池田宣政 奉納
慶応3年正月9日
京都御所小御所(清涼殿代)

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クーデタ、王政復古の大号令

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王政復古
聖徳記念絵画館 壁画「王政復古」
島田墨仙  筆
侯爵 松平康荘 奉納
慶応3年12月9日
京都御所小御所

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坂本龍馬と皇后の奇夢

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1867年(慶応3年)11月15日は、坂本龍馬が暗殺された日です。
また、1835年(天保6年)11月15日は、坂本龍馬の誕生の日でもあります。

ということで、本日は坂本龍馬のお話です。

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徳川慶喜、朝廷に大政奉還

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大政奉還
聖徳記念絵画館 壁画「大政奉還
邨田丹陵 筆
公爵徳川慶光 奉納
慶応3年10月14日
京都二条城黒書院

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