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1872年(明治5年) Archive

横浜に初めて基督教会設立

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横浜海岸教会
横浜海岸教会

明治に入って耶蘇教の禁も寛大となり、初めて横浜の居留地に基督教会の設立を見たのが、1872年(明治5年)3月11日の事でした。

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近代教育発程の第一歩たる「学制」を制定

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文部省
1872年(明治5年)頃の文部省

1872年(明治5年)8月5日、国民皆学を目指して学制が公布されました。日本の学校系統はここに始めて明らかとなったのでした。

前年に設置された文部省が、欧米先進諸国の教育制度を参考に立案され、大・中・小の学区、学校、教育、生徒試業、海外留学生、学資などを定めます。

学制の理念は太政官布告で「學問ハ身ヲ立ルノ財本」であると強調し、「自今以後一般ノ人民(華士族、農工商及ビ婦女子)必ス邑ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス」と述べ、従来の身分的学校を廃し全国民が就学すべきこと、実学思想、個人の立身出世の思想などが表明されたのでした。

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明治天皇、軍艦にて長崎港に入港す

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中国西国巡幸長崎御入港
聖徳記念絵画館 壁画「中国西国巡幸長崎御入港」
山本森之助  筆
長崎市 奉納
1872年(明治5年)6月14日
九州長崎港

1872年(明治5年)6月14日、明治天皇を乗せた軍艦龍驤(りゅうじょう)が長崎港に入港しました。

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日本最初の博覧会開催

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博覧会

日本最初の博覧会が東京で開催されたのは、1872年(明治5年)3月5日の事でした。

お茶の水の聖堂を会場として、3月5日は各官吏の招待日とし、一般の人は10日からで入場料2銭で公開されました。

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兵部省を廃し、陸海軍省の二省を置く

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山県有朋
陸軍中将時代の山県有朋(左)と福原和勝大佐 *1872年(明治6年)頃

明治維新後の軍務はすべて兵部省で取り扱っていました。

この頃はまだ、兵事は士族の専職であるとされていましたが、山県有朋は上書して、将来多大の兵力を養うには、どうしても一般徴兵の法に依らなくてはならないとその旨を述べたことに基き、1872年(明治5年)2月28日、兵部省を廃して陸海軍両省を置きます。

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生血をしぼられる徴兵制度

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1872年(明治5年)11月28日には、国民皆兵の徴兵令が布かれ全国に募兵の告示が発せられました。

その時分の計画では、常備兵として31,680名、戦時に46,350名という、後の制度から見ると頗る小規模のものでした。

当時の徴兵に関する告諭の条文中に、

凡そ天地の間一事一物として税あらざるはなし、以て国有に充づ、然らば即ち人たるもの固より心力を尽くし国に報ぜさるべからず、西人これを称して血税とす

と布告されました。

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妾廃止の建議

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江藤新平

1872年(明治5年)11月23日、司法卿の江藤新平と、司法大輔の福岡孝悌の両人が、明治の新政府に対して廃妾建白、即ち日本国民が妾を持つ事を法律を以て一切禁止すべしという、建議案を提出しました。

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洋式礼服の始

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1872年(明治5年)11月5日は、全権大使岩倉具視の一行が、欧米歴訪の旅も進んで、ロンドンに於てヴィクトリア女王と謁見の日に当ります。

一行がロンドンに到着したのは同年7月14日でありましたが、女王が避暑中であったため、帰京まではゆるゆるとロンドン及び近郊の視察と見物に日を送り、11月5日になり漸くパッキンガム宮殿での拝謁となりました。

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鉄道記念日(鉄道の日)

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鉄道開業式に臨む明治天皇(イラストレイテッド・ロンドン・ニュースより)

1872年(明治5年)9月12日、新橋(現・汐留)・横浜(現・桜木町)間の日本最初の鉄道開通日は、太陽暦で10月14日に当るので、毎年本日を鉄道記念日(現在は「鉄道の日」)とし、鉄道省(現国土交通省鉄道局)に依り各種の記念行事が催されていました。

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西郷隆盛、故郷に錦を飾る

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中国西国巡幸鹿児島着御
聖徳記念絵画館 壁画「中国西国巡幸鹿児島着御」
山内多門  筆
鹿児島市 奉納
明治5年6月22日
鹿児島

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綿羊(毛を採るための羊)、初めて飼育される

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綿羊
綿羊

日本に初めて綿羊(毛を採るための羊)が輸入され、その飼育を開始した記録が「近世農史」に依りますと、1872年(明治5年)5月17日となっています。

木綿や麻、絹布などの功業は我国でも早くから発展していましたが、独り毛織物だけ一向に奮っていませんでした。もっともずっと欽明天皇の御代に下野国で羚羊(カモシカ)の毛を織物とし、これを計牟志呂(けむしろ)と称したという古い記録があります。

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食用氷、初めて市場に現われる

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東京、横浜の各市場に、初めて食用氷が現われたのは1872年(明治5年)でありました。

横浜の中川嘉兵衛という人が、北海道の自然氷を船に積んで、横浜に運んだのが同年5月5日で、初めて氷を食用として市場に売出すようになり、間もなく東京にも歓迎されて流行り出しました。

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女子の断髪を禁ず

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1872年(明治5年)4月5日、東京府庁から

  「女子の断髪を禁ず」

という変わった告諭が発せられました。

同年3月の「新聞雑誌35号」の記事に依りますと、

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明治時代の「東京不燃都市化計画」(銀座煉瓦街)

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銀座
煉瓦造りの建物が並ぶ「銀座通り」(明治9年頃)

1872年(明治5年)2月26日の午後2時、和田倉門内の兵部省から出火して、東京の築地、銀座一帯の約4,000戸を焼失する大火がありました。

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日本初の近代的図書館「書籍館」が開館

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昌平坂学問所大成殿
昌平坂学問所大成殿

1872年(明治5年)4月2日、文部省博物局は、東京・湯島の旧昌平坂学問所大成殿に「書籍館」を開館しました。すべての人々が利用でき、あらゆる分野の蔵書をもつ近代的図書館のはじまりとなります。

欧米の図書館を日本に最初に紹介したのは、福沢諭吉でした。

欧米を訪問した福沢は、著書『西洋事情』のなかで、イギリスの大英博物館図書館をはじめ、諸外国の図書館の蔵書数や納本制度などを報告しました。すべての人々が利用でき、あらゆる分野の蔵書をもつ図書館の創設は、明治になって検討されることになります。

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「東京日日新聞」創刊

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東京日日新聞
東京日日新聞」 創刊号 (5年2月21日号)

1872年(明治5年)2月21日、東京日日新聞が創刊されました。

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明治天皇、牛肉を初めて召上る

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仮名垣魯文『安愚楽鍋』より

1872年(明治5年)1月24日、明治天皇が初めて牛肉を召上ります。

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1月8日は陸軍始(観兵式)

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1872年(明治5年)1月8日、明治天皇は日比谷門外の操練場で行軍式を閲兵しました。天皇自ら麾下の軍隊を督励するとともに、徴兵令を翌年に控え、国民の軍隊の重要性を印象付ける目的がありました。
そして、毎年正月8日を「陸軍始観兵式」として定めました。

陸軍観兵式
(明治20年頃の観兵式)

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「太陽暦」採用、12月が1月に!

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1872年(明治5年)11月9日、改暦の詔書と太政官達337号により太陽暦と定時法が採用されました。

改暦の詔書
朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ズ閏月ヲ置カザルヲ得ズ置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生ズルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル如キハ率ネ妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセズ蓋シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年後僅ニ一日ノ差ヲ生ズルニ過ギズ之ヲ太陰暦ニ比スレバ最モ精密ニシテ其便不便モ因ヨリ論ヲ挨タザルナリ依テ今ヨリ旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ此旨ヲ体セヨ
  明治五年壬申十一月九日

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男軍人 女は工女 糸をひくのも国のため

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明治政府は1872年(明治5年)、群馬県に富岡製糸場を開業し、以後「富国強兵」「殖産興業」を合言葉に次々と官営模範工場を開設し、その生糸の輸出により外貨を獲て、外国より戦艦を購入しました。「男軍人 女は工女 糸をひくのも国のため」と工女節で歌われるように日本の経済を底辺で支えたのは、貧しい農家の娘など、まだ10代半ばの少女たちでした。 しかし、 「工女」の労働実態は、過酷で1日15時間以上にも及ぶ長時間労働と劣悪な職場環境により若い生命が奪われたといいます。

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