- 2004年10月30日 01:25
- 雲の下の風景

(三重県鈴鹿市)
本日は朝から雨にも関わらず鈴鹿市まで足を向けた。
ちょっと前の私なら、こんな雨の日は決して表に出なかったのに...
サイト運営をはじめてから人が変わったようだ。(いい意味で)
今回の鈴鹿へ行く目的はただ一つ、第2回旅順港口閉塞作戦で戦死した杉野孫七上等兵曹長の顕彰碑を見に行くためである。
顕彰碑は磯山駅より少し歩いたところの生家敷地内に建立されています。
たったこの一点のために、高速代まで使ってしまった。
(う~ん、この調子で毎週どこかに出かけていると、その内金欠になりかねない...)
サイト運営も楽じゃない。
Comments:2
- 澤崎宏之 2006年10月17日 13:17
旅順にいた人間はみな軍神広瀬中佐のうたを知らない人はない。ところが、広瀬中佐がさがしていた杉野兵曹長は傷つき海に投げ出されていたのを露軍に助けられ病院で療養していたと言う。日露戦争が済んでから、杉野は郷里に立派な銅像が建てられたのを知り内地に帰られず、ハルピンあたりで余生を過ごしたという記事を朝日新聞に第2次大戦後掲載されたことがある。私は三重県史編纂室で事実を確かめました。したがって、この事実から事項を改めてもらいたいと思う。
- kaiZer 2006年10月19日 00:44
杉野兵槽長の生存説を報道する新聞記事は私も読みました。
然るに、記事の内容にはご本人を証明する記載はなく、因ってそれだけで断定するのは軽率かと思われましたので、あくまでも戦場での行方不明者は戦死者としてみなし「戦死」として掲載しています。
なお、杉野家のご家族がこの事実を認めるにおいては、訂正もございます。



