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「坂の上の雲」のふるさと

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私は大学生活を松山で過ごしましたが、その当時の松山は「坊っちゃん」の街一色で、どこにも「坂の上の雲」の痕跡などありませんでした。それが今では、秋山兄弟生家の復元や記念館の設立など、「坂の上の雲」のふるさとづくりが盛んになっています。

この"ふるさとづくり"は実は一人の人物の呼びかけから始まったのでした。

その人とは元産経新聞大阪本社文化部勤務の石浜典夫(ただお)氏でした。当時の文化部は福田定一こと司馬遼太郎氏が勤務していた事もあり、石浜氏は司馬史観を直接に触れたのでした。

石浜氏は後に愛媛放送に赴任しますが、その折には司馬氏宛に

 坂の上の雲のふるさとへ来ました。」

と挨拶状を送っています。

しかし、石浜氏が胸をはずませて赴任した松山の街は、すっかり「坊っちゃん」の街であり、秋山兄弟の生家の跡も無く、お墓も荒れたままでした。かって市内にあった銅像も市の外れの荒れた丘に放置している状態であったとか。どこにも「坂の上の雲」を関連付けるメモリアルも案内板も皆無だったそうです。

このありさまに呆れた石浜氏は商工会議所の講演で、

 「この30年間、松山の人たちは何をしていたのですか・・・・・・」

と怒りをこめて「坂の上の雲」のふるさとづくりを訴えたのでした。

この石浜氏の呼びかけが次第に広がり、地元有志による「坂の上の雲」の会が発足し、さらに地元企業も参加して「坂の上の雲」記念館建設委員会が結成されました。

現在も石浜氏は「坂の上の雲」の街づくりのコンシェルジェとして活躍されています。

【関連ページ】 松山コンシェルジェ

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Comments:1

kaiZer 2008年5月15日 00:50

平成20年5月13日午後1時57分、石浜典夫さんが肺がんのため、松山市内の入院先の病院で静かに息を引き取られました。心より御冥福をお祈り申上げます。

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