- 2006年5月 7日 22:17
- 秋山真之
かって艦隊運動に関する会議の席上で秋山は財部を散々遣り込めてしまった。このことが財部のプライドを傷付けることになり、財部は兼ねてより秋山を薬籠中の者とし味方にしておこうと考えていたがあきらめる。逆に秋山が各地で戦争談を行うことに対して、財部一派は「秋山一人の力を以て戦争したる如く世に吹聴するは他人の功を奪うものなり、現に東郷も上村も大に憤慨せり」と二将を引合いに出し非難する。財部は山本権兵衛の娘婿でもあり、秋山は予備艦隊の艦長に遷され不遇の位置に立つ。
しかるのち第一艦隊参謀長に栄転するが、これも実は軍令の方面に遠けて断じて軍政に近づけさせまいとする算段であったという。秋山真之もまた海軍を以て唯一の立脚地とする程に愉快を感ぜず、常に曰く「余は少将となり得るも、中将たる能はざるべし」と中将になることを拒んでいた。
すでに派閥が力を占めていた時であるから、秋山真之の晩年は不遇といえた。
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