- 2006年9月 5日 23:29
- 1892年(明治25年) | 正岡子規
正岡子規は1892年(明治25年)に帝国大学を突如退学します。
もっとも、子規もよくなかった。二十五年の初夏に、二年目の落第をしてしまっている。(中略)
子規は、退学を決意した。郷里の母親や叔父などはそのまま学業をつづけてとにかくも文学士になってくれることを切望したが、子規の決意はかたかった。
このときの落第の言い分を当の本人はこう語っています。
大学ほど実に下らない所はない。まァ聞きたまへ。英文学の試験に何をやるかと思うと、詩を二行ばかり出して、その解釈をさせるならまだしもだが、これは誰の作の何と題する詩にあるかというんだ。毛唐の奴、どこまで、人を子供扱いにするか分らない。僕は癪に障ったから、答案を出さないで、ドンドンと教室を出てしまった。それなり学校はよしさ。
英語が苦手だった子規のいかにも負けず嫌いな言い分です。
すでに俳句に夢中になっていた子規には、どこか踏ん切りが必要だったのでしょう。もし子規が英語が得意だったら、俳聖・正岡子規はこの世に誕生しなかったということになります。
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