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アレクセーエフ再び?

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1903年(明治36年)、秋山好古はニコリスクへ視察旅行に出かけ歓迎を受けます。

そして、

坂の上の雲〈3〉この日、好古は、
「旅順へ行きたい」
と言いだして、ロシア側をおどろかせた。冗談ではなかった。旅順といえば大要塞を築城中で、極東におけるロシアの機密地帯のうち、もっとも重要な場所であった。
「旅順におられる貴国の極東総督のアレクセーエフ提督を訪ねて久闊を叙したいのです」
といった。アレクセーエフは、極東における皇帝代理者である。かれが北京にきたとき、好古は会ったことがある。
「・・・・・・旅順は、どうも」
と、接待委員たちはあまりな申し出に、口をつぐんで返答もしなかった。しかし好古は相変わらず強引で、
「ぜひ会いたいんじゃ」
と、日本語で言い、いよいよ相手をうろたえさせた。

坂の上の雲』(風雲)より

アレクセーエフといえば、日露戦争時の極東陸海軍総司令官で、満州からの撤兵という日本の要求を拒否して日露交渉決裂の一因をつくります。日露戦争では旅順攻防の際の拙劣な軍事指導などを批判され、沙河会戦後に軍事的任務を外されます。

そのアレクセーエフという名前をここ数日よく耳にします。それは、北朝鮮の核問題をめぐる6か国協議でロシアの首席代表を務めるアレクサンドル・アレクセーエフ外務次官です。

それにしてもアレクサンドル・アレクセーエフとはなんとも因縁深い名前でしょうか。
なぜかというと、先のアレクセーエフはアレクサンドル二世の妾腹の子でしたから...
それともこの外務次官はアレクセーエフ家と縁のある方なのでしょうか。

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