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畝傍(うねび)、殉難

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明治時代、朝鮮をめぐる清国との緊張を背景に帝国海軍は外国に軍艦の発注を行います。そして外国に注文した船ができあがると、これを日本に回航する必要があります。通常は軍艦を造った造船会社が回航しますが、1886年(明治19年)の「浪速」から日本人の手で回航されることになりました。

坂の上の雲〈1〉なお浪速は同型艦の高千穂とともに英国でつくられたが、同時期にフランスに注文した類似艦があり、「畝傍(うねび)」といった。この畝傍はフランス人の手で回航された。しかしこの艦はついに日本に着かなかった。明治十九年、回航の途上、シンガポールを出たまではたしかであったが、その後煙のように消えてしまったのである。これついてはさまざまに取り沙汰されたが、こんにちにいたるまで謎になっている。

坂の上の雲』(軍艦)より

畝傍」は1884年(明治17年)フランスに発注し、86年に竣工された排水量3615トンの巡洋艦です。フランス人乗務員と8人の日本側回航員により同年10月18日に回航の途につきましたが、12月3日シンガポールを発った後に消息不明となります。海軍はイギリス東洋艦隊の協力を得て捜索にあたりますが、87年10月に亡失と認定し、その保険金で巡洋艦千代田(2439トン)をイギリスに発注します。

なお「畝傍」は、嵐で難破したかと思われますが、その遺留品が全く発見されなかったために、海賊に襲われたのではないかとの声もあがり、中には清国に奪われたのだと様々な噂がささやかれました。

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