- 2006年10月22日 00:21
- 1895年(明治28年) | 正岡子規
十月十九日、子規は漱石とも別れて松山を発った。帰郷するつもりであったが、まっすぐにはもどらず上方のあちこちを見ようとおもった。広島から須磨まできたところ、にわかに左の腰骨のあたりが痛みだし、歩行もできなくなった。子規の晩年をくるしめたカリエスがここで症状露にしたのだが、子規はこのときはさほどの重症とはおもわず、痛みのうすらぐまで須磨で保養し、やがて、大坂と奈良にあそんだ。
『坂の上の雲』(須磨の灯)より
1895年(明治28年)10月19日に松山を発った正岡子規は、10月31日に東京に戻るまでの約2週間、広島、須磨、大坂を経て奈良で遊ぶとなりますが、10月22日から新聞「日本」で俳句への修学課程を説いた『俳諧大要』の連載をはじめます。要するにちゃんと仕事もこなしていました。
俳句をものせんと思はば思ふままをものすべし。巧を求むる莫れ、拙を蔽ふ莫れ、他人に恥ずかしがる莫れ。『俳諧大要』より
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Comments:2
- 神戸のヒロシ 2006年10月22日 18:14
はじめまして。
歴史にたいへん興味があり、
読む本もそちら方面が結構多くですから、
このブログの内容も興味深いものばかりです。
ランキング応援クリックしておきました。
またオジャマします。- kaiZer 2006年10月25日 00:50
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
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