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乃木大将は水泳が苦手だった

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乃木希典1907年(明治40年)、学習院の院長に就任した乃木希典大将は剣道と水泳に力を注ぎます。剣道、水泳ともに精神を養うのにとても重視したといいます。

乃木大将が学習院長になってから、夏の水泳部は、院創立以来の好成績であったといいます。学習院の遠泳試験は江ノ島から逗子まで海上約8キロばかりを泳ぐそうで、毎年多数の落伍者があるのに、その年に限っては一人も出なかったといいます。聞けば、遊泳中に落伍しそうなものが出ると、仲間の者が手を引いて助け、
 「そら乃木さん! そら乃木大将!」
 「そら旅順口! そら旅順口!」
と同様に調子をとって掛声をして励まし、弱った者もその名によって感奮して泳いだからだといいます。

ただ、水泳となると乃木大将はいつも海岸の砂の中に裸体になってごろごろとして、学生が泳ぎまわるのを眺めていました。実のところ乃木希典水泳は得意ではなく、40メートル程しか泳ぐことができなかったといいます。ただ、宮殿下が水泳される時には、無理して海に入ったそうですが、このために乃木大将は中耳炎を患い、ひさしく赤十字病院に通ったといいます。

またある時、ある人が乃木大将にに面会しようと思い磯部を訪ねてきました。もうすぐ水泳時間も済んですぐにお帰りになるだろうということであったので、大将はどこに居られるのかと海の方を見ると、海の中に立って何か白い物を洗っている人がいた。まもなくその人は上がってくるのを見るとそれが乃木大将であった。そして天幕の前へ来ると手にしている白いものを日光に乾しました。何だろうと思って見ると院長のご使用の越中褌(ふんどし)であったといいます。

(写真は伏見孫宮殿下御撮影による片瀬遊泳場における乃木希典大将)

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