- 2006年11月15日 00:43
- 1867年(慶応3年) | 1904年(明治37年)
1904年(明治37年)2月4日の御前会議にて、ロシアとの国交を断行し宣戦布告します。しかし、大国ロシアの陸海軍に日本が勝てるのであろうかというのが誰もが思うところであり、そんな折に、
皇后の夢枕に白装の武士が立ったという噂がさかんに巷間で取り沙汰されたというのもこの時期であった。『坂の上の雲』(艦影)より
名を坂本竜馬と名乗った。かれは幕末の志士で長崎で私設海軍をつくって日本の海運と海軍の源流のひとつをなしたが、この夢枕のなかでかれはこのたびのバルチック艦隊の東航の件についてはご心配なさることはないという旨のことを告げたという。
この話をもう少し詳しく述べますと、
皇后陛下が葉山に行啓したある夜の夢に、白衣の侍が行儀ただしく皇后の御前にまかり出でて、頭を下げていました。
皇后はそれに向かい、
「汝は何者であるか」
とおごそかに尋ねます。
すると侍は、
「臣は坂本龍馬と申すものでございます。此度露西亜と戦争が初まりましたに就て、両陛下に於かせられては、一方ならずご心配のように拝察致しますが、決して御心配には及びません。海軍の方は勿論、陸軍も必ず我が邦の勝利となります。臣等も及ばずながら力を尽しますから。」
と、このように答えました。
皇后はそれを聞きながら、
「汝は坂本数馬というのじゃな」
と尋ねると、侍は、
「いいえ、坂本龍馬でござります」
と答えるやいなや、たちまち姿は煙と消えてしまったということです。
しかし、次の日も同様の夢を見たため、皇后は供奉の香川皇后太夫に、その夢の事を話します。香川太夫は坂本龍馬なる人物の事蹟を一通り皇后に伝えますが、念のため土佐出身の田中宮内大臣に坂本龍馬の詳細について問合わせします。
後に田中大臣から香川太夫のもとへ、坂本龍馬の写真が届きます。
この写真をご覧になられた皇后陛下は、
「おお、これです」
と、写真に写っている侍こそは、夢に見えた侍と寸分の相違もないと答えます。かくして、この夢の翌日には日本海軍は仁川・旅順の戦いで大勝利となりました。
ちなみに、その写真は坂本龍馬が長崎の時代に撮影したものだそうで、のちに山県有朋の秘蔵品となったといいます。この夢物語が真実かどうかは賛否別れるところでありますが、一つには山県有朋の画策したものだという説もございます。
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Comments:2
- 為成 2007年12月11日 22:02
>1867年(慶長3年)11月15日は、坂本龍馬が暗殺された日です。
1867年は慶応3年ですよ~
- kaiZer 2007年12月11日 22:17
誤植のご指摘ありがとうございます。
早々に修正いたしました。



