- 2006年11月18日 00:05
- 1901年(明治34年)

写真は伊藤博文を迎えて行われた火入れ式の記念撮影です
1901年(明治34年)11月18日午前10時30分より、八幡製鉄所の開業式が行われました。
日本最初の本格的な官営の近代的鉄鋼一貫製鉄所となります。
産業技術と軍事技術は、西洋よりも四百年おくれていた。それを一挙にまねることによって、できれば一挙に身につけ、それによって西洋同様の富国強兵のほまれを得たいとおもった。いや、ほまれというようなゆとりのある心情ではなく、西洋を真似て西洋の力を身につけねば、中国同様の亡国寸前の状態になるとおもっていた。
官営の製鉄所は、1891年(明治24年)に松方内閣によって製綱所設立計画が第二議会に上程されましたが、民党の反対にあって否決されています。やがて日清戦争を契機に1896年第九議会で農商務省管製鉄所の設立が可決され、同年3月製鉄所官制が発布されました。
日清戦争の賠償金を財源の一つとして計画された官営製鉄所は、ドイツから主要な設備を輸入しました。しかし、西洋式の大製鉄所は九州・八幡で用いられた石炭や鉄鉱石を使用するには高炉を改良する必要があり、日露戦争までは操業が思うようにいかなかったようです。ことに明治36年にはあいついで故障が起り、一時操業を中止することさえありました。しかし、富国強兵の至上命令のもとに政府は事業を強行しました。
技術的に安定して操業でき、経営的にも黒字となったのは明治43年の明治も末期のころとなります。
- Newer: 李舜臣提督の霊に祈る
- Older: 大嘗祭(だいじょうさい)
Comments:1
- 鎌田 2008年6月 2日 02:27
そんなノスタルジーに浸っている場合だろうか?
我々が入手した情報によると、新砂鉄製鉄法というものを
日立金属が極秘に進めているらしい。これは高炉のダウンサイジング化と言うことが出来、化石燃料に頼らない製鉄法が出来るのだという。
精錬は化学反応であり高炉はその典型であるが、簡単に化学反応の効率に必要なものは(熱)×(反応界面積)×(反応界面蹟維持時間)×(フレッシュな反応物の界面への供給)にあるという。
高炉は(熱)と(反応界面蹟維持時間)を極大化するために
大型化していったという。




