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旅順陥落(日清戦争)

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1894年(明治27年)11月21日、大山巌大将率いる第二軍は旅順攻撃を開始します。

第二軍の旅順攻撃は、大山巌が決定した予定どおり、二十一日の払暁、寒気をついて開始され、主力諸隊が前進した。この間秋山支隊は主力の右側の援護に任じ、椅子山の西方に位置し、一方、鳩湾まで進入してきた艦艇と連絡しつつ、優勢な敵を釘づけにした。
「半年はかかる」
といわれた旅順要塞は、おどろくべきことにまる一日で陥ちてしまった。
坂の上の雲』(日清戦争)より

日清戦争における旅順要塞は重要拠点でした。

大山巌大将率いる第二軍は、この旅順要塞に対し攻城砲をもって攻撃すべきところを、清国軍の士気はかなり低いと判断し、要塞を一気呵成にこれを乗っ取るという強襲法で強引に攻めかかりました。

この時、乃木希典率いる歩兵第一旅団は、乃木自ら敵陣を視察し、夜陰に乗じて敵陣近くに接近する必要があるとの作戦を立て猛攻撃を開始します。4時間にもおよぶ猛攻撃の前に、清国軍は総崩れとなり、わずか一日で旅順要塞を陥落することに成功しました。この働きによって、敵に包囲され危険にさらされていた桂太郎の第三師団は、窮地を脱することでできました。

それから10年後の、1904年(明治37年)の日露戦争において、乃木希典はその経験を買われて旅順攻略の司令官に任命されます。しかし、10年という年月で旅順要塞はコンクリートで固められ、そして何よりも清国軍とは士気も比較にもならない世界屈強のロシア兵に変わっていました。

乃木の経験日露戦争では裏目に出ることになります。

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