- 2006年11月26日 00:02
- 1904年(明治37年) | 乃木希典
1904年(明治37年)11月26日、乃木大将率いる第三軍は第三回目の旅順総攻撃を行います。
乃木軍の今までの攻撃は、
6月26日、剣山攻撃、旅順攻略戦開始
7月26日、前進陣地への攻撃開始
8月19日、第一回旅順総攻撃
9月19日、前進堡塁群への攻撃開始
10月26日、第二回旅順総攻撃
と、26日を好む傾向がありました。
「なぜノギはわざわざ13日(26日)をえらぶのだろう」
ということは、ステッセルもその幕僚の戦術家たちも、たれもがなぞとして考えた。
この疑問はロシア側だけでなく、東京の大本営陸軍参謀本部でもふしぎにおもった。
「わざわざ敵に準備させ、無用に兵を殺すだけのことではないか。いったい乃木や伊地知はどういうつもりで二十六日をえらぶのか」『坂の上の雲』(旅順総攻撃)より』
と、不思議に思った山県有朋元帥は森邦武中佐を派遣して詰問します。
そうすると、第三軍の伊地知参謀長はこのように答えます。
攻撃日を二十六日とせるは偶然の意味にあらず。次の理由の存するものあり。以上の諸関係により、二十六日が恰も毎回の攻撃日となりしなり。抑も要塞の防者は常に準備して要心しある故、その時日を他に更えるも不意に乗ずることは難し。故に攻者が二十六日云々と心配するの要なし。
- 抗室の火薬準備及の関係上並に導火索の有効期日が恰かも前回の攻撃後より準備して、自然に一ヶ月の時日に相当すること
- 南山攻撃の突破は、実に二十六日なりしを以て、第三軍将卒はこの縁起を祝う
- 偶数は割り切れる意味に於いて兵卒は歓ぶ
谷壽夫著「機密日露戦史」より
なお、最後の切り札として改組編成された第七師団の参加が決まった折も、
「7なら203を割り切れるぞ」
と、喜んだといいます。
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