- 2006年11月30日 02:05
- 1892年(明治25年)
1892年(明治25年)11月30日、フランスで建造回航中の水雷砲艦「千島艦」(750トン)が、瀬戸内海愛媛県沖で、イギリスP・O会社汽船ラヴェンナ号と衝突沈没する事件が起こりました。
政府は天皇の名で、横浜イギリス領事館に賠償を求める提訴をしました。一方P・O会社も、衝突の原因は千島艦にあると反訴し、問題は容易には解決しません。事件を知って世論はわきかえります。
正岡子規は同年12月2日の新聞「日本」に、俳句時評「海の藻屑」と題し、千島艦沈没を句で評しました。
もののふの 河豚にくはるる 悲しさよ
事態は政府の失態を責めるとともに、他方では「現行条約励行」を叫んで外国側に報復せよとの論も盛んとなりました。そして対外強硬論者は大日本協会を結成して、政府を攻撃しました。この事件は明治28年に至ってP・O会社が英貨1万ポンド(約9万円)を支払うことで和解が成立しましたが、政局の及ぼした影響は多大なものがありました。
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