- 2006年12月 5日 00:30
- 1904年(明治37年) | 乃木希典 | 児玉源太郎
1904年(明治37年)12月5日、乃木第三軍がついに旅順要塞攻略戦の帰趨を決するニ〇三高地を占領しました。
児玉は成功した。
かれは砲兵陣地を大転換することによって歩兵の突撃を容易ならしめ、六千二百の日本兵を殺したニ〇三高地の西南角を一時間ニ十分で占領し、さらにその東北角をわずか三十分で占領した。明治三十七年十ニ月五日である。『坂の上の雲』(二〇三高地)より
乃木司令官は、二〇三高地における第一師団の苦戦をみて、予備軍の第七師団を投入します。直後、第三軍の司令部に到着した児玉源太郎総参謀長は、乃木希典に同意の上で、第三軍参謀らを怒声と共に叱咤督戦し、精力的に作戦指導にとりかかります。
児玉は、歩兵のみでは二〇三高地を落とせないことを理解しており、砲兵の柔軟で集中した運用を図ります。重砲兵の一六四高地への再配置を完了した児玉は、12月5日午前8時15分、二八サンチ榴弾砲をはじめ多くの大砲をもって、二〇三高地への砲撃を開始します。
同日午前9時15分、第七師団の歩兵部隊が頂上を目指して突撃を再興、同夜頂上の占領に成功しました。
二〇三高地も含めて第三回総攻撃の日本軍は戦死5,512名、戦傷11,883名。
第七師団は10,403名参加、戦死1,982名、戦傷4,224名。
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