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気転の利かぬ野狐を、七分小玉で打ち上げた

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坂の上の雲〈5〉「乃木、ひげが白くなったな」
と、児玉が馬首越しにいったのは、この男らしくもない感傷的なことばであった。かれはこの西南戦争以来の戦友の痩せ方のひどさにおどろいたのである。
(――乃木のいくさべた)
と、むかし児玉は乃木をからかったことがある。

坂の上の雲』(二〇三高地)より

乃木希典と児玉源太郎1878年(明治11年)の頃、乃木希典歩兵第一連隊長の時、佐倉の歩兵第二連隊長の児玉源太郎習志野で対抗演習を行いました。

演習は敵味方の区別をするために、軍帽を白布で覆うのと覆わないのに分かれることになりました。この時、児玉軍が帽子に白布を覆うことになりました。そこで児玉は一計を案じ、見物に来ていた人に、男には鉢巻、女には頬被りをさせ、あちらこちらに散らばせました。乃木軍はそのおとりに目をくらませられ、その隙をついて、児玉軍は本物の部隊で乃木軍を攻撃し打ち負かしてしまいした。

結果、審判の総評は児玉軍は七分、乃木軍は三分という採点をつけました。この当時はそういった採点の仕方で、引き分けの場合はいわゆる五分五分という採点となります。

喜んだ児玉源太郎は、「気転の利かない野狐を、七分小玉で打ち上げた」という歌を作って、それに節をつけ、兵隊にうたわせながら、習志野を去っていつたといいます。

「気転の利かない野狐」とは「キテン(希典)の利かないノギ(乃木)ツネ」をもじっており、「七分小玉」とは七分勝ちで打ちのめしたという意味に、さらには一寸にも満たない小さなコダマ(児玉)、つまり身長の低い児玉が長身の乃木を打ち負かしたと皮肉っています。

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