- 2006年12月11日 00:06
- 1899年(明治32年) | 正岡子規

子規庵
病床の子規には、大好きな庭を見るにしても、上野の山を望むにしても、いちいち障子を開けてもらわはなければならなかったが、1899年(明治32年)12月10日ごろ、この病床生活に一大変化が生じます。
子規庵にガラス障子が取り付けられたのでした。
ガラス障子にしたのは寒気を防ぐが第一で、第二に居ながら外の景色を見るためであった。果たしてあたたかい。果たして見える。『新年雑記』より
これ等はガラス障子につきて略々予想したことであったが、其外に予想しない第三の利益があった。それは日光を浴びる事である
昼近い冬の日が6畳の部屋の奥までさし込む中に横たわっていると、暖かいばがりでなく非常に愉快な気持ちになったいいます。ガラス障子の出来上がった翌日には、自分でガラスを拭いてみたり、菅笠を被って机に向い、昼のうちに原稿をかくほど、子規は新たな喜びに充ちたといいます。
こんな譯ならばニ三年も前にやったらよかったと存候、併シ何事も時機が来ねば出来ぬ事と相見え候夏目漱石に宛てた手紙より
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