1834年(天保5年)12月12日、福沢諭吉が誕生します。
「秋山の兄さん、この世の中で」『坂の上の雲』(騎兵)より
と子規はきいた。
「だれがいちばんえらいとお思いぞな」
(中略)
「あしは会うたことがないが、いまの世間では福沢諭吉というひとがいちばんえらい」
と、好古は著書をいくつかあげていったがこの返事は真之にも子規にも意外であった。好古は軍人だから軍人の名をあげるかとおもったのである。
福沢諭吉が凄いのは、彼の出す本は"爆発的に売れる"ということです。
山路愛山は、「彼が時代の要求を代表したるもの」と、福沢諭吉を評するように、「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」の有名な文句ではじまる『学問ノススメ』は、1872年(明治5年)2月の第一編から1876年11月の第17編まで刊行され、全冊でおよそ70万部発行され、偽版も10数万部発行されたといいます。特に第一編は20万部(偽版を含めると推定22万部)が売れました。
当時の人口からして160人に1人がこの本を読んだことになります。これらが、のちのベストセラーの条件となりました。
福沢の自由平等・自主独立を説く本は、明治初期の開化・啓蒙の風潮にのり、それまで大忠臣としてきた楠木正成の戦死を犬死とする「楠公権助論」などの大胆な見解は、広く世を湧かしました。さらに、発足当初の学校教育では、福沢のほかの著書『西洋事情』(慶応2年刊)、『世界国尽』(明治2年刊)などとともに教科書として広く採用されました。
なお、福沢諭吉を敬愛する秋山好古ですが、福沢も好古同様に愛酒家であったといいます。福沢は書斎の押入れに四斗樽とコップを常備していたそうです。




