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講道館と嘉納治五郎

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坂の上の雲〈2〉兵学校の一期上でとくに親しかった広瀬武夫のことである。(中略)
風変わりな男で、兵学校のころから柔道に熱中し、任官後もひまをみつけては東京の講道館にかよい、嘉納治五郎から直接の指導をうけていた。明治二十三年「海門」乗組の少尉候補生のころ講道館紅白大試合に出場し、黒帯五人をつづけざまに投げ六人目でやっとひきわけになったという講道館開設いらいはじめてという記録をたてた。

坂の上の雲』(渡米)より

広瀬武夫の柔道の段位は四段でした。そして戦死後は六段を贈られています。

柔道 六段免状

四段 広瀬武夫
忠勇と思慮とを天下に示し講道館に柔道の精神を発揮せり依て六段を贈る
  明治三十七年四月八日

講道館師範 嘉納治五郎

講道館は、1882年(明治15年)嘉納治五郎が、古来の柔術を改良して新時代の武道「柔道」の普及を目指し東京下谷の永昌寺で開いた道場です。

最初は門人9名、畳12畳の道場でしたが、嘉納治五郎が直々に柔道の解説し、形と乱取りの実演も披露しつつ門人を増やし、後に九段の品川弥二郎邸や本郷の陸軍施設を借用しながら、93年に小石川に移転し、94年道場を新設して、柔道界の中心的施設となりました。

日本での講道館柔道入門者が増加する一方で、外国人の見学者も増え、1901年(明治34年)12月16日には、イギリス公使マクドナルドらの一行約60名が講道館に訪れます。これを機に柔道が世界に広がってゆきます。

嘉納治五郎は、1909年にアジアで最初の国際オリンピック委員会(IOC)委員となり、11年には大日本体育協会初代会長に就任し、そして12年(大正元年)第5回オリンピック大会に団長として参加するなど、国際的に活躍しました。

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