- 2006年12月26日 00:15
- 1893年(明治26年) | 秋山好古
秋山好古は戦時でも軍刀を用いず、平時佩用する模造刀身の指揮刀を携行しました。そして、何よりも自決用のピストルをいつも首にぶら下げていました。
好古の本営は、廟であった。かれはテーブルの上にピストルと水筒をのせている。『坂の上の雲』(会戦)より
ピストルのひもが長く、首にぶらさげてあった。敵が司令部までやってくればこれで自分を撃つためのもので、この男の覚悟というのは、そに日常と同様、簡単明瞭であった。
この秋山好古が携行したピストルとは「二六年式拳銃」と呼ばれます。
二六年式拳銃は、1893年(明治26年)採用された日本陸軍初のピストルです。口径9mm、長さ23cm、6連発で弾倉は回転式。日露戦争では将校や憲兵、後方部隊の一部が使用しました。機構が簡単で、故障が少ないのが利点でした。
この大房身での戦闘指揮中、こっけいなことがあった。『坂の上の雲』(会戦)より
廟を本営にしている好古の部屋に、ロシア兵が入ってでたのである。真昼ではあったが廟のなかは暗く、好古は机の上に蝋燭をたてて地図をひろげてのぞきこんでいた。地図はロシア軍が制作したものであった。
ひょいと顔をあげると、天上の梁にまで頭がとどくようなロシア兵が立っていた。
「なんじゃ、オマイ」
と、好古が卓上のピストルに手をのばしかけたのは、とっさのことで敵がもうここまできたのかと錯覚し、かねてそう決めこんでいるとおり、好古は自分の頭をピストルの弾でぶちぬこうとおもったのである。
ところがロシア兵のほうが好古の顔をみて仰天してしまい、叫び声をあげて逃げてしまった。
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