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水師営の会見

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日露役旅順開城
聖徳記念絵画館 壁画「日露役旅順開城」
荒井陸男  筆
関東府 奉納
明治38年1月5日
関東州旅順口水師営

旅順要塞陥落に伴い、守備側のロシア軍司令官ステッセル将軍は攻撃側の日本軍司令官乃木希典大将との会見を希望し、1905年(明治38年)1月5日、会見が行われました。

会見の場所は、水師営である。水師営とは村の名であり、その会場として指定されたのは劉という百姓家であった。戦闘中この家は日本軍の野戦病院につかわれていた。
「庭に一本棗の木」
と、後年の「尋常小学国語読本」巻十の「水師営の会見」の歌の歌詞にあるように門を入って左の泥塀に沿って棗の木がある。「弾丸あともいちじるしく」とうたわれているように、無数の弾痕が樹皮を裂いて生肌をあらわしている。
  くずれ残れる民屋に、今ぞ相見る二将軍
坂の上の雲』(水師営)より

なお、「尋常小学国語読本」巻十の「水師営の会見」の歌詞は以下となります。

文部省唱歌 「水師営の会見」

佐佐木信綱 作詞

一、旅順開城約成りて、敵の将軍ステッセル
   乃木大将と会見の 所はいづこ、水師営

二、庭に一本棗の木、弾丸あともいちじるしく
   くずれ残れる民屋に 今ぞ相見る二将軍

三、乃木大将は、おごそかに、御めぐみ深き大君の
   大みことのり伝うれば、彼かしこみて謝しまつる

四、昨日の敵は今日の友、語ることばも打ちとけて、
   我はたたえつかの防備、かれは稱えつ、我が武勇

五、かたち正して言い出でぬ、「此の方面の戦闘に
   二子を失い給いつる 閣下の心如何にぞ」と

六、「二人の我子それぞれに 死所を得たるを喜べり
   これぞ武門の面目」と、大将答え力あり

七、両将昼食共にして、なおも尽きせぬ物語
   「我に愛する良馬あり 今日の記念に献すべし」

八、「厚意謝するに余りあり 軍のおきてにしたがいて
   他日我が手に受領せば、ながくいたわり養わん」

九、「さらば」と握手ねんごろに 別れて行くや右左
   砲音絶えし砲台に ひらめき立てり、日の御旗

水師営の会見の際にステッセルより乃木希典が受領した白馬は、後にステッセルの名に因んで、「寿(ス)号」という名がつけられました。なお、乃木希典ステッセルに鶏30羽と酒2ダースを贈っています。

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Comments:1

ゆかりん 2008年5月11日 02:07

こっそり、遊びに来ました。

お時間がある時で結構ですので、宜しければ
私のブログにも遊びに来てください。

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