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睦仁親王、践祚して明治天皇

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踐祚
聖徳記念絵画館 壁画「踐祚」
川崎小虎  筆
侯爵 池田宣政 奉納
慶応3年正月9日
京都御所小御所(清涼殿代)

1867年(慶応3年)1月8日、睦仁親王が弱冠16歳で践祚し、皇位を継承しました。

竜馬がゆく〈7〉この帝と同色の主義をもっていた集団は、京都守護職である会津藩であった。会津藩御預である新撰組も、帝と同一系列の思想結社であったといっていい。会津および新撰組はこの帝の股肱として奔走し、反幕勢力の駆逐につとめた。かれらの正義のよりどころは孝明帝であった。
この帝が、崩御された。践祚されたのは、かぞえて十六歳の少年の新帝である。

『竜馬がゆく』(中岡慎太郎)より

明治維新前夜の政争は、いわば天皇の争奪戦でありました。天皇を討幕派か佐幕派のどちらが擁するかによって、天下の形成が左右されることになります。だから、討幕派の志士の間では、天皇をひそかに「玉」とよび、「玉を抱く」とか「玉を奪う」という隠語がさかんに使用されました。

花神 (下巻)「玉を奪われては、どうしょうもない。手ぬかりはありますまいが、別して入念にやっていただきたい」
と、大久保日記にも出ている。
かれらが天皇のことを「タマ」と呼んだということで、後世の史家は薩摩の要人の精神構造をよく揶揄するが、これはひが読みであろう。ギョクとよむ。将棋のコマの王が「玉」と刻まれていることにかけて、王の隠語としてそういったわけで、玉突のタマではない。

『花神』(京の風雲)より

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