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徴兵令布告

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1873年(明治6年)1月10日、国民の義務兵役制の大綱を示した徴兵令が公布されました。

翔ぶが如く〈2〉日本は近代国家をかたちばかり成立させたとはいえ、この明治六年には軍備といえるほどのものを持っておらず、武といえば刀槍に長じた士族ばかりで、とうていロシアの南下を武威でもって断念させるような実力はなかった。このとしの一月十日、死んだ兵部大輔大村益次郎の方針だった徴兵令がようやく発足した。
「土百姓を集めて人形を作ろうとしている」
として桐野利秋ら薩摩系の近衛将校たちが猛反対したこの新制度の将来に山県は大きな期待をかけていた。征韓論どころのさわぎではなかった。

『翔ぶが如く』(秋の霜)より

男子は満20歳で徴兵検査をうけ、3年間の常備軍(現役)に服し、除隊後も在郷軍人として戦時の動員召集をまつこととされました。

徴兵令

兵ヲ徴スルノ方法ハ国家ノ大典、忽ニスヘカラサルモノニシテ、又之ヲ実践ニ行フノ難キ、固ヨリ言ヲ俟タズ。其ノ法タル、古今其ノ制ヲ異ニシ、各国其ノ趣ヲ同クセズト離モ、要スルニ、一ニ民兵ニ因ラザルモノナシ。所謂民兵ニ二種アリ、日壮兵、日賦兵、是ナリ。賦兵ナルモノハ、全国ノ丁壮ヲシテ兵役ヲ帯バシメ、陸軍ノ兵員ヲ充タシ、其ノ内、沿海ノ住民舟楫波濤ニ慣レシモノヲ以テ、海軍ノ兵員ニ充ツ。而シテ、壮兵ハ、自カラ兵役ヲ望ミ出デシモノニシテ、服役数年ヲ帯ビ、普ク武技ニ就練シ、一団ノ精兵トナリ、頗ル其ノ便益ヲ得ルモノナリ。然レドモ、後日ニ至リ、或ハ弊害ヲ生ズルナキ能ハズ。是故ニ、壮平ノ法ヲ廃シ、賦兵一般ノ制度ヲ建テント欲ス。竊ニ各国賊兵ノ制ヲ考フルニ、大率服役八年、乃至二十年ヲ以テ程度トス。
今、国朝、実ニ始メテ賦兵ノ大典ヲ起サントスルニ方リ、兵役ノ久シキ、恐クハ人民生活ノ業ヲ妨害シ、且ツ当今ノ国カニ於テモ関係ナシト云フベカラズ。是ニ於テ、斟酌其ノ宜シキヲ採リ、折衷其ノ要ヲ抜キ、現今実際ニ行フノ法ヲ定メ、題シテ徴兵令ト云フ。

『軍隊勅諭宝釈』より

布告は緒言・六章・付録からなり、そのうち常備兵免疫概則は、官吏および官立学校生徒、代人料上納者など広範な除外規定を有し、国民皆兵主義が貫かれていたわけではありません。

のちに1879年1883年1889年1895年1904年と改正が施され、兵役年限の延長と免疫条項の縮小が図られることになります。そして、1927年(昭和2年)に兵役法と改称されました。

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