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招魂祭

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1905年(明治38年)1月14日、乃木希典は水師営南方の丘陵上において招魂祭を行いました。

坂の上の雲〈6〉ステッセルが旅順を去ったのは一月十一日であったが、その二日後に乃木軍は旅順において入城式をおこなった。
翌十四日、水師営南方の丘陵上において戦没者の招魂祭がおこなわれ、乃木は飛雪のなかに立ち、みずから起草した祭文を朗読した。参列した士卒はことごとく泣き、外国の観戦武官や新聞特派員も、祭文のことばはわからないながら目をぬぐった。それを見物していた中国人さえ涙をながしたおいうのは異様な光景というべきものであった。

坂の上の雲』(乃木軍の北進)より

乃木希典が朗読した祭文は以下になります。

祭文

維時明治三十八年一月十四日、第三軍司令官乃木希典等謹みて清酌庶羞の奠を以て、我が第三軍殉難将卒諸子の霊を祭る、☐きに我軍の関東半島に上陸せし以来実に二百十有余日、其間諸子は克く勇往し、克く健闘し、或は鋒鏑、砲火の下に命を致し、或は風餐雨虐の間に病歿せしもの少なしとせず、而も其功業遂に空しからず、茲に旅順口内敵艦隊の全滅に帰し、敵要塞の降伏を見るに至りしもの、洵に諸子の遺烈に因る、希典等諸子と生死を共にし、而も生きて、大元帥陛下より優渥なる勅語を下賜さるるに会い、顧みて諸子が遺烈を念へば、豈独り光栄を享くるに忍びんや、嗚呼諸子と此光栄を頒たんとして幽冥相隔つ、哀哉、乃ち我軍の旅順口に入るや、諸子が忠血を以て染めたる山川と要塞とを下瞰する處を卜し、先ず血を清め檀を設けて、諸子の英魂を招く、庶幾くは魂や髣髴として来り響けよ

高橋壮昂著著『日露戦役録』より

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