- 2007年1月17日 00:58
- 1893年(明治26年)
1886年、フランスで発明された石炭酸から合成されるピクリン酸火薬を、軍が組成を秘密にして使用していたものを、海軍技手下瀬雅允が、ピクリン酸と看破し、1888年(明治21年)に砲弾の炸薬に利用することを提唱しました。
1893年(明治26年)に採用され、当初は水雷用の炸薬として日清戦争で試験的に試用されました。1898年(明治31年)から陸軍板橋火薬製造所で工業生産を開始します。当時独立の火薬製造所をもたなかった海軍も、1899年(明治32年)には下瀬火薬製造所を設けて量産を始めます。
下瀬火薬は日露戦争時にその威力を発揮し、1906年(明治39年)にTNTが現れるまでは世界最強の爆薬といわれました。下瀬雅允はその功績により、勲三等に叙せられ、海軍省より償金1,200円が授与されました。
多年学理を推究し日夜意匠を擬し刻苦励精撓まず百難を排して遂に有効なる爆発薬を発明し海軍用として是を採用するに至る是れ実に我兵器に一層の鋭利を加へ帝国海軍に稗益を与ふる尠からざるのみならず其勤労特に大なりとす依て其償金千弐百掩圓を下賜す
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