- 2007年1月24日 01:02
- 1872年(明治5年) | 正岡子規
そのころ「日本」新聞は神田雉子町の露地奥にあった。露地を出ると、両側が赤レンガ造りの店舗で、その表通りをつききると、「中川」という牛肉屋がある。
古島はその二階へあがり、子規に牛鍋を馳走しながら、新聞の文章はいかに書くべきかをとうとうとしゃべったが、子規はずっとだまっている。
徳川時代には牛肉を「黒牡丹」と称して薬にするものがあり、又、売薬としての「牛肉丸」等というものはありましたが、一般には食されていませんでした。
それが外国との交通が開けかけた幕末には、外国人の肉食に始まり、横浜・神戸の日本人に伝わり、屠牛が行われ、さらには牛肉販売店も現われ、明治維新後には西洋かぶれの新人類達が牛肉を食するようになります。とくに「牛鍋」は牛肉に野菜・豆腐などをとりあわせて、醤油味の汁で煮た鍋料理で、1871年(明治4年)頃には文明開化を象徴する食物として流行し、仮名垣魯文の「安愚楽鍋(あぐらなべ)」にその状況が描かれいます。
明治政府も日本人の体格向上のために肉食を推進します。殊に明治天皇が牛肉を召上られたことが報道されると、民衆も次第に牛肉を食するようになります。なお、明治初年には東京府下で屠牛された牛は一日1頭半か2頭に過ぎなかったのが、明治5年頃には一日20頭を屠るようになりました。
明治8年の末には東京市内に中川、三河屋、野田安、釜屋等の牛肉店が70余軒も出来る程盛況となり、牛鍋を「開化鍋」と称します。
(写真は明治村にある大井牛肉店)
然し、地方ではなお忌み嫌って食さない者が多かったので、県によっては県令を発して牛肉を食するように奨励を行います。
昭和初め、東京四谷見付外の老舗三河屋の廃業がこの業種の終焉といわれます。
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