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秋山好古、絶体絶命の危機!(黒溝台の戦い)

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1905年(明治38年)1月25日、ロシア軍は本格的な反攻作戦に転じ、日本軍最左翼に布陣する秋山好古支隊に襲いかかります。世に云う、黒溝台の戦いの始まりです。

坂の上の雲〈6〉秋山好古が、ロシア軍の一大重圧が自分の支隊にのしかかって生きていることを知ったのは、一月二十五日のまだ暗いころである。
午前三時には、最前線の黒林台に出してある前哨(約二個中隊)が、敵の大きな兵力の夜襲をうけて退却のやむなきに至った旨の電話をきいたときから、好古は、
(これは想像以上の事態がおこりそうだ)
と、直感した。

坂の上の雲』(黒溝台)より

秋山好古の直感は当たり、日本軍の最左翼、長さ40キロの正面をわずか8000人で守っていた秋山支隊に対して、ロシア軍第10軍団の10万もの大軍が押し寄せてきたのでした。

もし秋山支隊が敗北すれば、ロシア軍が日本軍の背後まで進出包囲することになります。故に、秋山支隊に下された命令はただ一つ、

「現陣地を死守せよ!」

而して、10万のロシア軍を相手に秋山好古はわずか8000人で迎え撃つことになります。敵中に孤軍する中、秋山支隊のとった戦術は、下馬による機関銃での迎撃。次々と味方の死体の山が築かれ中、何が何でも死守するほかはなく、救援部隊が到着する28日まで、厳命通り死守に徹するのでした。

日露戦争の最大の危機」といわれたこの戦は、秋山支隊の鉄壁の守りによって、その後勝利に転じることとなります。

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