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週刊「平民新聞」、廃刊

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1905年(明治38年)1月29日、『平民新聞』が廃刊となります。

1903年(明治36年)10月、『萬朝報』は開戦論を明瞭にし、記者の幸徳秋水堺利彦内村鑑三はただちに退社、幸徳・堺の二人は翌11月「平民社」を設立します。

平民社
(紋付の着物姿が幸徳秋水

そして同年11月15日、週刊『平民新聞』を創刊します。その冒頭に、

宣言

一、自由、平等、博愛は人生世に在る所以の三大要義也。
一、吾人は人類の自由を完からしめんが為めに平民主義を奉持す、故に門閥の高下、財産の多寡、男女の差別より生ずる階級を打破し、一切の圧制束縛を除去せんことを欲す。
一、吾人は人類をして平等の福利を享けしめんが為めに社会主義を主張す、故に社会をして生産、分配、交通の機関を共有せしめ、其の経営処理一に社会全体の為めにせんことを要す。
一、吾人は人類をして博愛の道を尽さしめんが為めに平和主義を唱道す、故に人種の区別、政体の異同を問はず、世界を挙げて軍備を撤去し、戦争を禁絶せんことを期す。
一、吾人既に多数人類の完全なる自由、平等、博愛を以て理想とす、故に之を実現するの手段も、亦た国法の許す範囲に於て多数人類の与論を喚起し、多数人類の一致協同を得るに在らざる可らず、夫の暴力に訴へて快を一時に取るが如きは、吾人絶対に之を非認す。

と、自由・平等・博愛と平民主義・平和主義・社会主義をうたいました。「平民社」は、成立の経緯からみても、社会主義一般ではなく、迫りくる戦争に対し、平和主義と非戦論を堅持し、この思想を宣伝するための結社でした。

しかし、創刊1周年の第53号に「共産党宣言」の和訳を掲載したことで発禁となります。越えて38年1月、また「小学教師に告ぐ」の一文が朝憲紊乱で起訴され、幸徳は軽禁錮5ヶ月、『平民新聞』の刊行禁止、及び印刷機械没収という厳しい宣告をうけます。同年1月29日『平民新聞』は、第64号を全面赤刷りにして、その歴史を閉じました。

だが、平民社はそれでも反戦活動をやめず、平民社と関係のあった『直言』を機関紙として、2月から再出発をします。叩かれても叩かれても立ち上がる、不屈の闘志がありました。

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