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威海衛占領 (日清戦争)

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1895年(明治28年)2月2日、日清戦争において日本軍(第二軍)は威海衛と北岸砲台を占領します。

威海衛攻撃は本日を以て始められ、三箇所の砲台は陸軍の為めに奪はれ、一箇所は艦隊の為めに破壊されたり。
威海衛の陸上砲台は悉く没落し唯島上の砲台より抵抗を試みつゝあるのみ。
威海衛は三十日の孝明天皇祭を以て総進撃をなすべき豫ての手筈なりしと聞けば此の電報の云ふ所は蓋し事実なるべし。

明治28年2月2日「報知新聞」記事より

日本軍は北洋艦隊の逃げ込んだ威海衛を攻撃し、北京への進撃を容易にするため、山東半島に上陸することとしました。遼東半島の戦いを終え、1月20日以降山東半島に上陸した日本軍は、直ちに威海衛への進撃を開始し、背後からこれを攻めました。

坂の上の雲〈2〉威海衛は、どの軍港要塞もそうであるように、陸上要塞は陸軍の管轄になっている。
その陸軍司令官が、戴宗騫である。日本軍がやってくる直前、丁汝昌はこの陸上の守備に不安を感じた。
「兵がすくなすぎるのではないか」
と、おもった。(中略)
丁汝昌はそれを戴宗騫に提案した。が戴はきかず、
「海軍のさしずはうけぬ」
として、きびしくはねつけた。(中略)
結果は、丁汝昌の心配どおりになった。日本の第二軍が上陸するや、清国陸軍はほとんど抵抗することなく砲台をすてて逃げた。

坂の上の雲』(威海衛)より

威海衛市街はもとより、難攻不落と日本軍に恐れられていた北岸砲台にも清軍の姿はどこにもなく、難なく占領することができたのでした。北岸砲台占領には、負傷者1名を出したに留まりました。

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