- 2007年2月 2日 01:07
- 1895年(明治28年)
日本軍は北洋艦隊の逃げ込んだ威海衛を攻撃し、北京への進撃を容易にするため、山東半島に上陸することとしました。遼東半島の戦いを終え、1月20日以降山東半島に上陸した日本軍は、直ちに威海衛への進撃を開始し、背後からこれを攻めました。
威海衛は、どの軍港要塞もそうであるように、陸上要塞は陸軍の管轄になっている。
その陸軍司令官が、戴宗騫である。日本軍がやってくる直前、丁汝昌はこの陸上の守備に不安を感じた。
「兵がすくなすぎるのではないか」
と、おもった。(中略)
丁汝昌はそれを戴宗騫に提案した。が戴はきかず、
「海軍のさしずはうけぬ」
として、きびしくはねつけた。(中略)
結果は、丁汝昌の心配どおりになった。日本の第二軍が上陸するや、清国陸軍はほとんど抵抗することなく砲台をすてて逃げた。
威海衛市街はもとより、難攻不落と日本軍に恐れられていた北岸砲台にも清軍の姿はどこにもなく、難なく占領することができたのでした。北岸砲台占領には、負傷者1名を出したに留まりました。
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