- 2007年2月 4日 01:34
- 1904年(明治37年) | 聖徳記念絵画館
強国ロシアとの戦争を回避する外交交渉が暗礁に乗り上げた。1904年(明治37年)2月4日、明治政府は緊急御前会議を開きます。
日本政府が対露開戦を決意したのは明治三十七年二月四日の最後の御前会議においてであったが、その会議がおわると、枢密院議長伊藤博文が金子堅太郎をよび、『坂の上の雲』(開戦へ)より
「じつは、いま開戦にきまった」
とうちあけた。伊藤は泣きはらしたような目をしていたというから、日本の勝利をほとんど信ずることができなかった伊藤は、この決定に無量の思いがあったのであろう。
御前会議は伊藤博文・山県有朋・大山巌・松方正義・井上馨の五元老と、内閣側から桂太郎首相・小村寿太郎外相・曾禰荒助蔵相・山本権兵衛海相・寺内正毅陸相の出席により開かれ、ついにつぎのような最後の断を下します。
この上時日を空過するときは、わが外交軍事共に恢復すべからざる不利に陥るべきは疑を容れず。事ここに至りては実に止むを得ざるが故に、帝国政府は自衛のため並に帝国既得の権利を擁護するため必要と認むる独立の行動をとるべきことを露国政府に通告し、併せて軍事行動をとることを緊急なりと思考す
明治天皇は対露開戦を裁可し、閣議は、日露交渉の中止、国交断絶、軍事行動の開始を決定しましました。
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