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連合艦隊出撃せよ

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1904年(明治37年)2月5日、連合艦隊に出撃命令が下されます。

対露開戦の断を下した御前会議の翌日、「二月三日露艦出動、行先不明」の電報がはいったのをきっかけに事態は急転直下、直ちに最後通報発令の手続きを取る一方で、山下軍令部参謀は山本海軍大臣の封緘命令を携行し佐世保に向かいます。

坂の上の雲〈3〉この当時、汽車はおそい。東京を夜発ち、佐世保には翌五日の午後六時三十分についた。
かれのカバンのなかには、海軍の用語でいう、
「封緘命令」
が入っている。連合艦隊司令長官東郷平八郎に対する命令書であり、ことばの本来の意味からいえば、指定の時期に指定の場所で封を切るべきものであった。こんどのばあい、緘ざされた封は二通で、ひとつは命令書であり、ひとつは勅語が入っていた。

坂の上の雲』(放火)より

連合艦隊佐世保軍港に集結していました。すでに戦時編成をとり、第一艦隊(司令長官東郷平八郎中将)、第二艦隊(上村彦之丞中将)、第三艦隊(片岡七郎中将)の三艦隊体制に改編されていました。連合艦隊は第一・第二艦隊からなり、東郷平八郎が司令長官を兼ねています。

封緘命令は、5日連合艦隊の旗艦三笠の艦上で東郷司令長官に手交されました。
勅語と命令書の内容は以下となります。

贈陸海軍 勅語

朕は東洋の平和を以て 朕か衷心の欣幸とする所なるか故に清韓の両国に関する時局の問題に付 朕か政府をして昨年来露国ト交渉せしめたり然るに露国政府は東洋の平和を顧念するの誠意なきことを確認せしむるの止むを得さるに達したり蓋し清韓両国領土の保全は我日本の独立自衛を密接の関係を有す茲に於て 朕は 朕か政府に命して露国と交渉を断ち我独立自衛の為めに自由の行動を執らしむることに決定せり
朕は卿等の忠誠武勇に信頼し其目的を達し以て帝国の光栄を全くせむことを期す

出撃命令書

一、連合艦隊司令長官ならびに第三艦隊司令長官は、東洋にある露国艦隊の全滅を図るべし
一、連合艦隊司令長官はすみやかに発進し、まず黄海方面にある露国艦隊を撃破すべし
一、第三艦隊司令長官は、すみやかに鎮海湾を占領し、まず朝鮮海峡を警戒すべし

これを受けて東郷司令長官は、連合艦隊命令第一号を発動します。

連合艦隊命令 第一号

一、連合艦隊は直ちに黄海に進み、旅順口及び仁川に在る敵の艦隊を撃破せんとす
一、瓜生第二艦隊司令官は第四戦隊(浅間を加ふ)及び第九、第十艇隊を率ゐて仁川の敵に當り、且つその方面における陸兵の上陸を擁護すべし
一、第一、第二、第三戦隊及び各駆逐隊は、直に旅順方面に向ひ、駆逐隊は闇に乗じて先づ敵艦を襲撃し、艦隊は翌日更に攻撃せんとす
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