- 2007年2月 8日 01:19
- 1904年(明治37年)
午後二時、瓜生戦隊は出港した。そのときはすでに二千二百人の陸軍の上陸部隊(小倉、福岡、大村から集めた四個大隊)が、三隻の輸送船に収容されて艦隊とおなじ方向をはしっていた。
『坂の上の雲』(砲火)より
わずかに開戦とともに佐世保を出港した木越旅団が、連合艦隊の一部にまもられて朝鮮の仁川に上陸し、漢城に進駐した。これは「韓国駐屯部隊」というべきもので、戦闘用の兵力というよりも、外交用のものであった。外交の相手は、韓国である。『坂の上の雲』(陸軍)より
2月6日、「韓国駐屯部隊」を護衛した瓜生少将率いる瓜生戦隊は佐世保を出港し、当時中立港として英・仏などの各国の艦船が碇泊していた仁川港をめざしました。ここにはロシアのワリヤーグ、コレーツも長期碇泊しており、そして、その中には日本艦千代田も碇泊していたのでした。
その千代田に「瓜生艦隊に合流せよ」との電信が入ります。千代田は7日の真夜中、灯火を消して密かにと仁川港を出港します。そして瓜生戦隊と合流した千代田は仁川港にいるロシア艦艇はたったの2隻であることを報告します。
この報告を受けた瓜生戦隊は14隻。この圧倒的な戦力差を背景に仁川港を堂々と入港します。そして唖然とするロシア艦の前で堂々と上陸を開始したのでした。陸軍の上陸部隊の数は2200人。上陸は夜通し行われ、小船で上陸する日本兵がかざす松明は、まるで水面をただよう蛍のようであったと云います。
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