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伊予は、水軍の国である

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坂の上の雲」の主人公である秋山兄弟、正岡子規は河野水軍の末裔となります。

坂の上の雲〈1〉「おまえ、秋山家の先祖が伊予水軍であることを知っているか」
と好古はいった。
真之は知らない。(中略)
秋山氏は、伊予の豪族河野氏の出で、戦国期から江戸初期まで讃岐や伊賀を転々とし、やがてこの兄弟から七代前の秋山久信という者が伊予松山にもどってきて久松家につかえた。
「とにかく伊予人の遠祖はみな瀬戸内海に舟をつらねて漕ぎまわった連中ばかりだ。お前がその伊予人のなかから出てはじめて日本海軍の士官になる」

坂の上の雲』(海軍兵学校)より

河野氏は伊予国の豪族で孝霊天皇の孫小千御子(おちのみこ)から出たといいます。古くは越智郡(現今治市)を本拠として越智氏を称しました。瀬戸内最大規模の水軍となり、河野水軍とも呼ばれます。
小千国造ついで越智郡司となり、平安中期には伊予国司に任じられ、用忠(もちただ)は藤原純友(すみとも)の追討に功績がありました。

平安末期には親清が河野郷(旧北条市、現松山市)に住して河野氏を名乗ります。孫の通信(みちのぶ)は源平内乱に源氏方として活躍します。承久の乱のとき一族は二分しますが、通信の子通久が幕府方となり、所領を維持します。元寇では通有が志賀島の戦で活躍します。

室町時代には伊予国守護ともなりますが、一族内の対立により衰退します。河野氏には対外防衛機関である家臣警固衆(けごしゅう)と呼ばれる「島衆」と「下島衆」が存在しました。御家騒動によって衰退した主家河野氏を、「島衆」の代表である来島村上氏いわゆる村上水軍は背反し、1585年(天正13年)には豊臣秀吉の四国攻めによって通直は所領を没収されまもなく病没、宗家は大名となることなく滅びました。かくして村上水軍が伊予の戦国大名にと台頭します。

なお、私の遠祖も伊予国越智郡(現、今治市)に古くから土着し、河野水軍警固衆「下島衆」の姓を名乗っています。私も秋山兄弟、正岡子規同様に伊予水軍の末裔となります。

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