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熊本城攻囲戦

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西南役熊本籠城
聖徳記念絵画館 壁画「西南役熊本籠城」
近藤樵仙  筆
侯爵 細川譲立 奉納
明治10年2月
熊本県熊本城西花岡山

1877年(明治10年)2月22日、熊本城攻略を決意した薩摩軍は、城全周を包囲、総軍を挙げて攻撃を開始します。

翔ぶが如く〈8〉本来、攻城の主力は砲兵であるはずだが、しかし薩軍はその認識に欠けていた。かれらが故郷からひきずってきた砲の多くは、この日なお輸送の途上にあった。奇妙なことに戊辰戦争における薩軍の特徴といえば砲兵の運用の巧みさということだったが、それより十年後の薩軍はまったく別の集団のようにこれを軽視した。すくなくとも二月二十二日のかれらは、小銃と抜刀で熊本城を踏みつぶすつもりでいた。
それにひきかえ、籠城軍のほうは、砲兵をよく運用した。

『翔ぶが如く』(二・二二の戦闘)より

前年の明治9年に起きた神風連の乱の際には、簡単に落城した熊本鎮台でしたが、このたびは熊本鎮台司令長官・谷干城、参謀副長・児玉源太郎は薩軍の火の出るような猛攻をしのぎます。攻防戦の終盤には城北に位置する坪井川・井芹川の合流点をせき止められて水攻めされるなどし、兵糧の欠乏に苦しみますが、ひたすらに耐え抜きます。

児玉源太郎
前列右から谷干城樺山資紀、後列右端が児玉源太郎

この情勢を伝達する為に、奥保鞏少佐指揮の突囲隊が熊本城包囲網を突破し、城外の政府軍にうまく合流を果します。4月14日に至り、同軍によって熊本鎮台は薩軍の攻囲から解放されました。実に52日間の籠城戦となりました。

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