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日露戦争の関ヶ原、奉天会戦

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「今回の会戦は日露戦争の関ヶ原ともいえるものである。大いに健闘されたい」

満州大山巌元帥の命により、1905年(明治38年)3月1日を期して、日本軍はロシア軍に総攻撃を開始します。世に云う「奉天会戦」が始まりました。
東から鴨緑江軍(川村軍)、第一軍(黒木軍)、第四軍(野津軍)、第二軍(奥軍)、第三軍(乃木軍)と日本軍25万、これを迎え撃つロシア軍は32万となりました。

坂の上の雲〈7〉会戦第三日目の三月一日朝、東方にあたって地軸がゆらぐほどの砲声がおこった。この日、全日本軍の攻勢がはじまったのである。東部にあっては鴨緑江軍が攻撃をつづけ、黒木軍がそれを支援しつつ正面攻撃を開始し、野津軍と奥軍の砲兵が、全力をあげてそれぞれの正面の敵陣地を砲撃しはじめた。

坂の上の雲』(会戦)より

もっとも、野津司令官の第四軍は正面のロシア軍への砲撃を2月27日から始めていましたので、既に会戦の火蓋はきられていましたが、通例では全軍総攻撃開始の3月1日を以て奉天会戦開戦日としています。

総攻撃は、全線にわたって猛烈な砲撃によって開始されましたが、進撃のほうは意のごとくにいかず、日本軍が数メートル進めば、ロシア軍はこれを押し戻し、日本軍が占領すれば、ロシア軍は夜襲で奪い返すといった具合で戦況は膠着状態に陥ります。

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