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満州軍軍司令官・大山巌の奉天入城式典

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聖徳記念絵画館 壁画「日露役奉天戦」
鹿子木孟郎  筆
満州鉄道株式会社 奉納
明治38年3月15日
満州奉天城南大門

1905年(明治38年)3月15日、満州大山巌軍司令官の奉天入城式典が行われました。(手前が大山巌、二番目が総参謀長・児玉源太郎

「勝った」
ということについて、いまひとつ尺度がある。
――敵の芝生を踏んだほうが勝ち。
ということである。日本の戦国時代の基準で、もしこれを尺度にするなら奉天会戦は日本軍の完全無欠な勝利ということになる。が、文明対文明の決戦ともいうべき近代戦にあっては、補給能力が戦いの運命を決する最大の要素であるため、甲州に踏み込んだ織田軍が、踏みこむことによって武田勝頼軍に勝ったというぐあいにはゆかない。
坂の上の雲』(退却)より

奉天会戦は日本軍の勝利に終わりました。しかし、土地・陣地をとることではなく、決定的な打撃を敵に与え、再起不能にさせるという作戦目的は達成できず、また日本軍の戦闘能力も限界でした。

奉天占領の報を得た参謀本部次長・長岡外史は今後の作戦方針案を作成、3月11日に参謀総長山県有朋に提出しますが、「これ以上大規模な北進作戦は行わず、ハルピン占領は断念する」としました。

このあたりが戦の引際と判断した満州軍総参謀長・児玉源太郎は、3月22日に奉天から内地の大本営に向かい、戦争終結の外交交渉をはじめます。

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