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宮中に制度取調局を設置、長官は伊藤博文

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1883年(明治16年)に実力のある右大臣岩倉具視が死去し、太政大臣三条実美、左大臣有栖川宮熾仁(たるひと)親王は指導力・意欲ともに欠けて十分な役割を果たさず、政治を実質的に担う参議たちは、天皇周辺の宮中勢力、さらには明治天皇その人にも振り回されていました。

このような状況のなか、ヨーロッパでの憲法調査から帰国した伊藤博文の提案により、1884年(明治17年)3月17日、宮中に制度取調局が設置されました。制度取調局は立憲政治の導入を前にして、諸制度の改革を目的とした政府機関となります。

伊藤博文(参議・宮内卿兼任)が長官となり、井上毅・伊東巳千治・金子堅太郎・尾崎三良ら参事院・太政官の官僚が御用掛を兼任します。法制局起草の原案を基礎にヨーロッパ風の貴族制度をとりいれて華族令の制定にあたりました。

1885年9月には、伊藤の意をうけて井上が「内閣職制改正私案」を作成するなど、太政官制の改革、近代的内閣制度の確立にも参画します。そして、同年12月に内閣制度を制定し、伊藤博文は、その功績により44歳にして初代内閣総理大臣に就任します。

なお、伊藤博文の内閣総理大臣最年少就任記録は未だに破られていません。

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