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智謀神のごとし、メッケル来日

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1885年(明治18年)3月18日、プロシア(ドイツ)よりクレメンス・ヴィルヘルム・ヤコブ・メッケル少佐が、日本陸軍の再建の為、陸軍大学校教官に着任しました。

真之が英国式教育をうけているこの時期、陸軍大学校在籍中の好古は、ドイツ人を師としていた。
以前に触れたプロシャ陸軍の参謀将校メッケル少佐である。その着任は明治十八年三月十八日で、それ以前から、
―― 智謀神ノゴトシ
といううわさが、すでにきこえていた。
余談ながら、のちに日露戦争を勝利にみちびいた日本軍の高級参謀将校のほとんどがメッケルの門下生であり、メッケルの在任は明治二十年前後のわずか数年の期間ながら、その門下生たちはよくその教えをまもった。のち、この間のことが極言されて、
日露戦争の作戦上の勝利は、メッケル戦術学の勝利である」
とさえいわれたほどであった。
坂の上の雲』(海軍兵学校)より

それまでの陸軍は、江戸幕府の方針を踏襲して、フランス陸軍の軍事顧問団からナポレオン以来の戦術・調練法を学んでいました。しかし、ドイツ陸軍が普墺戦争・普仏戦争でオーストラリアとフランスに大勝し、ヨーロッパで最強と判断し、一挙にプロシア式に切り替えることにしました。

メッケルは明治18年から3年間、陸軍大学校で教えます。毎年、陸軍士官学校から選ばれた20名の青年将校がメッケルの教えを受けますが、卒業できたのは半数に満たないという厳しいものでした。卒業生は以下となります。

第一期生
東条英教(歩)、井口省吾(砲)、山田一男(歩)、仙波太郎(歩)、秋山好古(騎)
長岡外史(歩)、石橋健蔵(歩)、山口圭蔵(歩)、藤井茂太(砲)、榊原宰之助(歩)

第二期生
谷田文衛(歩)、渋谷在明(騎)、落合豊三郎(工)、井口五郎(歩)、林太一郎(歩)
清水金生(歩)、岡三郎(工)、榊原忠誠(歩)、金子直寿(砲)

第三期生
吉田貞(歩)、児島八二郎(歩)、松川敏胤(歩)、黒沢源三郎(歩)、金窪義孝(歩)
加藤錬太郎(歩)、恒吉忠道(歩)

計26人(歩兵19名、砲兵3名、騎兵2名、工兵2名)

メッケルは聴講を青年将校に限っていませんでしたので、大学校長の児玉源太郎小川又次西寛二郎大島義昌など、師団長クラスの参謀たちも熱心にプロシア陸軍の組織・戦術・作戦を学びました。

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