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日清休戦条約調印(日清戦争終結)

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1895年(明治28年)3月30日、日清休戦条約が調印されます。この調印により日清戦争は事実上終結したことになりました。

同年3月24日、休戦を行わず日清戦争の講和会議締結を有利に進めていた日本政府は、奇しくも清国の講和全権大臣李鴻章が、暴漢の小山豊太郎に狙撃されるという事件が起こりました。

この事件により、欧米の感情がきわめて悪いと報告を受けた陸奥宗光は、列国の対日批判を和らげ、講和会議の早期再開と会議の主導権を掌握するために、3月28日に李鴻章の病床に赴き、無条件休戦を受諾する旨を陳述し、ついで、春帆楼で李経方と会合し、全六条の休戦約提案を交付します。

これに対して、李鴻章が休戦範囲を台湾と澎湖列島にも拡大し、休戦期間を三週間に延長することなどの修正を求めてきたため、陸奥は翌29日、この修正案に対する再修正案を李に提示して協議しました。

その結果、若干の修正が加えられ3月30日、休戦条約が調印され、

日清休戦条約

第一條
日清両帝国政府は盛京省、直隷省、山東省地方に在て下に記する所の條項に従ひ両国海陸軍の休戦を約す

第二條
本定約の効力に依て休戦すへき軍隊は実際交戦を停止するときに當りて各其の駐屯する所の場所を保持するの権利を有すへし但し本定約の期限内は如何なる場合たりとも前記の場所以外に進出することなかるへきものとす

第三條
日清両帝国政府は本定約の存する間は攻守の孰れを問はず各其の滞陣の方面に於て進撃の備を加へ或は援兵を派し其の他一切戦闘力を増加せざるへきことを約す然れども現の戦地に於て戦闘に従事すへき軍隊を増加するの目的にあらざる以上は両帝国政府に於て新に兵員を配置運漕することを妨げざるものとす

第四條
海上に於ける兵員軍需及其の他一切戦時禁制品の運漕は戦時常規の依り捕獲せらるることあるへきものとす

第五條
日清両帝国政府は本條約調印の廿一日間を限り休戦を実行するものとす尤も両国軍隊の駐屯する場所にして電信の通ぜざる所へは敏速の方法を以て休戦の命令を発すへし而して両国軍隊司令官にて右命令を受たるときは相互の其の趣を通知し休戦の措置を為すへきものとす

第六條
本定約は別に互に通知を要せず明治二十八年四月二十日則ち光緒二十一年三月二十六日の正午に於て終了すへし而して若し右期限内に於て講和談判不調なるときは本定約は同時に終了するものとす右証拠として日清両帝国全権大臣は茲に記名調印するものとす

 明治二十八年三月三十日則ち光緒二十一年三月五日下の關に於て作る

 大日本帝国全権辨理大臣総理大臣従二位勲一等
             伯爵伊藤博文
 大日本帝国全権辨理大臣外務大臣従二位勲一等
             子爵陸奥宗光
 大清帝国欽差頭等全権大臣太子大傅文華殿大学士北洋大臣直隷総督
             一等肅毅伯 李鴻章

この休戦条約をもって日清戦争は終結したことになります。しかしながら、その後には三国干渉が待ち構えていました。

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