- 2007年4月 1日 03:41
- 坂の上の雲
日露戦争時、参謀次長を務めた長岡外史は、「旅順が早く陥ちねば国がほろびる」と悩み、ある作戦を思いつきます。
「旅順に気球をあげたらどうだ」『坂の上の雲』(旅順)より
ということをおもいついたのも、長岡外史であった。これは妙案であった。気球をたかだかとあげて観測兵をのせ、要塞内部をのぞきこませて砲弾の弾着を観測させるのである。長岡はのちに飛行機に着眼したり、伝書鳩を鷹でやっつけようとしたりしたところをみると、飛ぶものが好きなのかもしれなかった。
近世の戦役に於いて気球は軍用通信、及び偵察等、その効力を大いに発揮していましたが、日本ではまだその実用が認められていませんでした。
気球は、すでにヨーロッパの陸軍では実用化されてから歴史がふるいが、諸事技術軽視の陸軍にあっては、明治三十四年の十二月に一度テストしたものがあるにすぎない。長岡はこの古気球を倉庫からひきださせて、テストさせてみた。『坂の上の雲』(旅順)より
ロープがなかったので、深川の製綱会社に命じてつくらせた。このロープが粗悪であった。この年の四月、浜離宮であげてみると、のぼりはしたが三百メートルでロープが切れ、気球は浮游して大洗の海に落ちた。
とにかく気球の製造をいそいでやらねばならなかった。気嚢は、芝浦製作所に命じてつくらせた。これが、第三号繋留気球とよばれるものである。
繋留気球は、気球、水素発生機及び気球の昇降機よりなり、繋留索を附して地上に繋留するものです。従来の球形気球は、風力10メートル以上になると、激しく動揺し観測に困難なる為、ドイツより歩兵大尉パルセヴァル創案の紙鳶式軽気球を軍用にすることにします。紙鳶式軽気球は、風力26メートルまで観測が可能でした。

杉本文太郎編「陸軍図解」より
A:円筒気嚢(中経6m、長さ20mになる
B:吊籠(一人ないし二人乗り)
C:繋留索
D:気嚢左右の動揺を防ぎ、かつその安定を確実にする所の舵
E:気嚢の形状を安定させるための気嚢、内部を大小二部に区分する水平隔膜にして、その後方の開孔によって舵の内部に通じ、外気と交通する
F:排気弁
G:ガス注入口
H:空気の進入口
i:空気の排出孔
なお、長岡外史の繋留気球は、七月旅順の乃木軍に参加し周家屯と鳳凰城において高くのぼりはしましたが、要塞の一部を見るまでで、けっきょくはその作戦目的を果すまでにはいたりませんでした。
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