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子規待ちくたびれて、へらへらへ、はらはらは

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1895年(明治28年)4月10日、正岡子規日清戦争従軍記者として御用船海城丸で宇品を出港します。

坂の上の雲〈2〉子規(正岡)の従軍は、結局はこどものあそびのようなものにおわった。
広島で待機し、四月のはじめ、御用船に乗るべく宇品港へ出かけた。
「道端の桜は七、八分咲いて、柳の緑は染めたように芽ざしている。春昼の如しという頃である」
と、子規は季節を描写している。

坂の上の雲』(須磨の灯)より

正岡子規日清戦争従軍のため東京を発ち広島に向かったのが、3月3日です。そして出発命令が下ったのが4月7日で、10日に宇品を出発しています。ということは子規は一ヶ月近くも広島に滞在していたことになります。

では升さんはいったい何をしていたのでしょうか?

実のところ、出発命令を待ちわびながら、すっかり遊んでいました。酒飲みに三度、白魚飯を二度食べに行ったり、塩原多助の芝居を見に行って美人の多いのに驚いたり、毎夜両眼鏡を携えて「へらへら踊り」を見物に行ってたそうです。

ちなみに、「へらへら踊り」とは、子規の大好きな寄席の演目です。

へらへら

ドッコイお竹どんお竹どんお前のは長い、唐までとどく、ドッコイへらへらへ、はらはらは、へらへらのへぇーへらへらのへぇー、ドッコイ人がドッコイ人が、☐けべで二本え、八がしら八がしら、へらへらへ、はらはらい、へらへェへらへェ「赤い手拭の始まり始まり」あかい手ぬぐひ赤地の扇それを開いてお目でたい、へらへらへ、ひりひりひ、へらへらへ、ひりひりひ、太鼓が鳴たらにんにゃかだ、乙姫さんが、ちんがらもに追れて、笑ふ声聞けば、豊年だ豊年だ、へらへらへ、はらはらは

日清戦争バージョンの「へらへら」もあります。

日清へらへら

ドッコイ南京さん南京さんお前の髪は長い、べらぼうに長い、ドッコイへらへらへ、はらはらは、へらへらのへぇーへらへらのへぇー、ドッコイ何程ドッコイ何程、きばっても日本に、叶はんぞ叶はんぞ、へらへらへ、はらはらは、へらへェへらへェ「赤い手拭の始まり始まり」あかい御旗の日の丸国旗それを開いてお目でたい、へらへらへ、ひりひりひ、へらへらへ、ひりひりひ、大砲が鳴ったらお逃げなさい、大将さんが、ちんば馬におわれて、逃げるさま見れば、涙がポロポロ、へらへらへ、はらはらは

しかし、いざ出発となると、

一たび思ひ定めたる身のたとひ銃把る武士ならぬとも再び故国の春に逢はん事の覚束なければ

と、へらへらが真剣になりました。

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