- 2007年4月11日 00:32
- 1875年(明治8年) | 明治の人々 | 正岡子規
もっとも子規は外祖父が松山第一の学者である大原観山であるため、小学校にあがるまでは観山翁みずからの手で素読を教わるという幸運を享けた。観山翁の教授は朝五時から六時までであった。この老人は子規を愛し、
「升はなんば沢山教えても覚えるけれ、教えるのが楽しみじゃ」
といっていたという。『坂の上の雲』(真之)より
子規と観山の逸話 その1
子規は幼少のころ、観山の指示で帯刀させれられていましたが、背が低かったので、大小につらされるようじゃと皆に笑われていました。それなのに、その索を作った当の観山も、「むこうからなんか知らん小さいものが来ると思ったら、升じゃった」と云ったそうです。
子規と観山の逸話 その2
子規は学校に行くその前に、観山のところで素読を学ぶことになっていましたが、なかなか起きようとしないので、母八重はいつもミカンやお菓子を手にもたして起こしていました。
子規と観山の逸話 その3
子規は小さい時は左ぎっちょであったので、観山が、「お前はお客に往っても一番左へお座りよ、そうでないと、まんなかでは人の邪魔になるけれ」と教えていました。その後に子規は右利きに変わっています。
子規と観山の逸話 その4
観山の容態が悪くなり、何やら管のようなもので薬を飲んでいるのを見ていた子規は、たいへん羨ましがって、「自分が病気をしたら、管でお茶を飲ましてくれ」とせがんだ云います。
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