- 2007年4月14日 00:40
- 1886年(明治19年) | 正岡子規

(写真前列左より清水則遠、子規)
1886年(明治19年)4月14日、「七変人」の一人、清水則遠が脚気衝心で急死してしまいます。
大学予備門時代の正岡子規には6人の親しい友人がいて、子規は「七変人」と称し、いつもこのメンバーでつるんでいました。
そういうなかで、子規の親友が六人あり、子規はこのなかまを、
「七変人」
と称して得意になっていた。その名は、子規の手記を写すと、つぎのようである。
関甲七郎 陸奥人
菊池謙二郎 常陸人
井林広政 伊予人
正岡常則(子規)伊予人
秋山真之 伊予人
神谷豊太郎 紀伊人
清水則遠 伊予人『坂の上の雲』(七変人)より
しかし、楽しい学生生活に衝撃がおこり、子規は大きな衝撃をうけます。
秋山真之は「しっかりおしや」と子規をはげまします。
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