- 2007年4月24日 00:03
- 1894年(明治27年) | 明治の人々
1894年(明治27年)4月24日、河東静渓が逝きました。享年65歳。
二年生の秋の大試験で子規は学業優等になり、そのほうびとして学校から数人の者が頼山陽の「謝選捨遺」という書物をもらった。ところが少年の学力ではそれがむずがしく読めなかったため、『坂の上の雲』(真之)より
「河東静渓先生の弟子になろう」
と申し合わせて入門した。
河東静渓は竹村黄塔、河東銓、河東碧梧桐の父であり、旧松山藩の漢学者でした。子規は友人らとともに千舟学舎の河東静渓から八大家文などの講義を聴き、詩の添削を求め、多大な感化をうけました。
なお、子規の友人とは、三並良・太田正躬・森知之及び河東静渓の三男竹村鍛(黄塔)であり、子規はこれを「五友」と称し特に親密にしていました。また「八大家文」とは唐の韓愈、柳宗元、宋の欧陽脩、蘇洵、蘇軾、蘇轍、曾鞏、王安石の八人を指します。
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