- 2007年5月 9日 00:02
- 1889年(明治22年) | 正岡子規

1889年(明治22年)5月9日夜、正岡子規は常盤会寄宿舎で血を吐きます。
この年の五月、同郷の後輩である柳原極堂が子規をこの寄宿舎にたずねると、子規がふとんをのべて寝ている。柳原はおどろき、『坂の上の雲』(ほととぎす)より
「升さん、どうおしたのか」
と近づくと、子規は蒼い顔色で笑顔をつくりつつ、
「喀血したのよ」
と、小さな声でいった。
前年の8月、鎌倉旅行ではじめて喀血してから、肺結核の症状がさらに悪化していました。
子規は翌日は朝寝して学校へは行かず、医師の診察を受けますが、午後からは集会に出る為に九段まで出向いたりします。喀血をさほどの事とは思っていなかったようです。しかし、その夜11時ごろ再び喀血し、それより午前1時頃までの間に、時鳥(ほととぎす)の句を作ること四、五十句に及んだところ、翌朝にまた喀血します。これを機にして、子規と号するようになります。
「ほととぎす」『坂の上の雲』(ほととぎす)より
杜鵑、時鳥、不如帰、子規、などとかく。和名では「あやなしどり」などと言い、血に啼くような声に特徴があり、子規は血を喀いてしまった自分にこの鳥をかけたのである。子規の号はこの時できた。
「ほととぎす」は、ホトトギス科の鳥で、全長約28センチぐらいのカッコウに似た鳥です。泣き声は「テッペンカケタカ」、「ホンゾンカケタカ」などと聞こえます。また異名が多く、アヤナシドリ、アヤメドリ、イモセドリ、ウヅキドリ、ウナイドリ、サナエドリ、シデノタオサ、タチバナドリ、タマムカエドリ、トキツドリ、フジョキ、ユウカゲドリなどと呼ばれます。
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