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「西郷隆盛生存説」と大津事件

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津田三蔵
津田三蔵

1891年(明治24年)5月11日、滋賀県巡査の津田三蔵が、大津でロシア皇太子ニコライを刺し負傷させる事件が起こります。(大津事件

明治二十四年のことである。その五月十一日、皇太子は琵琶湖を見物した。
その帰路、大津を通過したとき、沿道を警備中の巡査
津田三蔵が突如、そのもちばをはなれ、皇太子の人力車に賭けより、抜刀して三度にわたって斬りつけた。
坂の上の雲』(列強)より

国をあげて歓迎すべき国賓に対して、津田三蔵は警官の身でありながら、何故に凶行に及んだのでしょうか?

津田三蔵は、伊賀上野藩医の子として江戸に生まれます。

廃藩後は、名古屋に移り、名古屋鎮台兵陸軍伍長としてとして西南戦争に従軍します。明治10年3月20日に熊本に上陸し、大野山を進撃、その際に左手を貫通する銃創を負い長崎臨時病院に入院。その後負傷が全治すると、鹿児島の本隊に復し、6月1日より歩兵第一連隊第一隊長古川氏清附書記となり、鹿児島、宮崎を転戦します。その間に陸軍軍曹に昇進し、9月27日の鎮圧まで従軍した功により勲七等を賜っています。

戦後は、三重県巡査をへて、1885年(明治18年)に滋賀県巡査となります。皇太子ニコライの訪日にはその警備を担当することになっていました。

ところで、津田三蔵が従軍した西南戦争で戦死したはずの西郷隆盛が実はロシアに亡命していて、今度ロシア皇太子の訪日に同行してくるという「西郷生存説」が、当時流布していました。

西郷生存説
西郷生存説

時はまさに大日本帝国憲法発布により、西郷隆盛も大赦となる翌々年のことでもあり、この風説は現実的な要素をもち始め、たちまち日本全土に広がります。現に、新聞各社は香港にいる通信者に対してロシア皇太子一行の軍艦西郷隆盛が乗っているかどうかを問い合わせています。また西郷が帰還すれば、天皇陛下は西南戦争に従軍した将校等の勲章を没収するという記事まで掲載されました。

日頃より生命より大切にしていたという勲章を剥ぎ取られるということに、大いに動揺した津田三蔵は、また日頃よりロシアに対して批判をしており、これは侵略のための訪日であると決め付け、犯行におよんだのではないかと云われています。

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