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玄界灘の大悲劇、「常陸丸」遭難事件

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日露戦争中の1904年(明治37年)6月15日、ロシアのウラジオストック艦隊が玄界灘で、日本陸軍運送船「常陸丸」、「和泉丸」を撃沈し、さらに「佐渡丸」を砲撃します。
(玄界灘の大悲劇)

坂の上の雲〈4〉ウラジオストックを基地としているロシア艦隊は旅順艦隊の別働隊のような存在だったが、結果としては全ロシア海軍の中でもっともよく働き、もっとも多くの損害を日本海軍にでなく、陸軍にあたえた。
この艦隊は、戦艦級の一等巡洋艦を三隻と二等巡洋艦一、仮装巡洋艦一で、計五隻から成っており、たえず日本海や朝鮮海峡のあたりまで出てきて、日本と満州のあいだを交通している輸送船をしずめた。

坂の上の雲』(黄塵)より

とくに「常陸丸」は、1898年(明治31年)竣工された国産初の外国航路用汽船であり、もともとは日本郵船の欧州航路用貨客船でした。しかし日露戦争においては、陸軍の兵員を輸送するために用いられます。

1904年6月に近衛後備歩兵第一連隊の兵員を満州へ輸送中に、玄界灘でウラジオ艦隊に攻撃され、乗員1000余人は戦死水没し、とくに輸送指揮官須知順次郎中佐の最後は軍旗を焼いたあと、笑顔を見せつつ割腹し船とともに没したと云われます。

常陸丸殉難近衛後備隊将士の墓
青山霊園「常陸丸殉難近衛後備隊将士の墓」

この遭難事件以前にも、ウラジオストック艦隊により、青森県艫作崎沖で「奈古浦丸」、朝鮮東岸の元山港で「五洋丸」、元山沖で陸軍輸送船「金州丸」といった運送船遭難事件が相次いで起こっていました。

この忌々しいウラジオストック艦隊を「撃破するか威嚇して釘付けにせよ」という命令を帯びていた上村彦之丞第二艦隊であったが、何度もウラジオ艦隊を取り逃がしていたため、次第に国民はこれを非難しはじめます。

とくに濃霧があり取り逃がしてしまったという事情が報道されると、「濃霧を逆さまに読めば無能ではないか。無能艦隊である。」と言い放つ代議士までいました。

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